2011年07月27日

『日本の復興と国防を考える集い』




私の仲良しのお友達の家村さんから、下記イベントのご紹介がありました。

靖国参拝の後、お運びいただけますと幸いです。

           坦々塾事務局 大石 朋子

8・15終戦記念日特別イベント

『日本の復興と国防を考える集い』

 ―日本を守り、未来につなげうる真の「復興と国防」とは―
     祖国と愛する人びとのために、今考える


東日本大震災は、大東亜戦争に匹敵する大国難であった。人的・物的な被害もさることながら、先の終戦から66年間における日本の政治指導者たちが「国防」という国家存立を担う重要な課題に正面から向き合うことを避け、経済的な豊かさだけを追い求めてきた結果、日本が「国土と国民を自力で守ることができる国家」としての復興を遂げてこなかったという事実をあからさまにしました。
 この間、いざというとき国家・国民を守る気概も能力もない政治指導者らを輩出し、民主党政権の現在、それがための人災は果てしなく拡大しつつあります。

 我が祖国日本を守り、未来に繋げうる真の「復興と国防」とは何でしょうか。

 本催しは、大東亜戦争終戦の日である8月15日を英霊に対する顕彰や戦没者の追悼だけに終始させることなく、祖国日本を愛し、その生成発展を願う心ある人々が集い、昭和20年8月15日の時点に立ち返り、過去から現在、そして将来の日本の復興と国防体制のあるべき姿を大いに論じあうものです。
 これにより、我々日本人がこの国難をいかにして克服し、より良き日本の再建に向けて、今、何をなすべきかをともに考え、英霊の御心に応えようとするものです。

 皆様のご来場を心よりお待ち申し上げます。


日 時:平成23年8月15日(月) 18時〜20時30分 (開場 17時30分)

場 所:大手町 サンケイプラザ 4階ホール
    〒100-0004 東京都千代田区大手町1-7-2 TEL.03(3273)2258〜9(直通)

 地下鉄/丸ノ内線 半蔵門線 千代田線 東西線 都営三田線
      「大手町」駅下車 A4・E1出口直結

JR/「東京駅」下車 丸ノ内北口より徒歩7分

参加費:2000円

第一部 基調講演

「原点に立ち返り、あるべき日本の国防体制を論ず」
  講師:佐藤 守 氏(元航空自衛隊南西航空混成団司令・軍事評論家)

「歴史教育と国民精神の復興」
  講師:藤岡信勝 氏(新しい歴史教科書をつくる会会長・拓殖大学客員教授)

第二部 パネルディスカッション

「祖国日本の再建 ―真の復興と国防はどうあるべきか― 」

パネリスト
 特定失踪者問題調査会代表      荒木和博 氏
 ノンフィクション作家        河添恵子 氏
 川村研究所代表           川村純彦 氏
 軍事評論家             佐藤 守 氏
 新しい歴史教科書をつくる会会長   藤岡信勝 氏
 日本世論の会会長          三輪和雄 氏

コーディネータ
 日本兵法研究会会長         家村和幸 氏

主 催 「日本の復興と国防を考える集い」実行委員会
     代表幹事 日本世論の会  会長 三輪和雄
          日本兵法研究会 会長 家村和幸
     事務局  東京都中野区 日本兵法研究会事務局内
          (代表 家村 Tel&FAX:03-3389-6278)
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2011年07月08日

『逆説の政治哲学〜正義が人を殺すとき〜』



『日本人の歴史哲学』から何年経ったのだろう?

今回、この本をいただいて、正直「昔は岩田君だったけれど、岩田さん、岩田先生と呼ばなくちゃ」と思わせる本だった。

 この一冊で、大学の政治学の授業に出て、哲学の勉強もした気分になりました。

 テーマごとに、一つずつ区切られているので読みやすく、「ちょこっと読み」が出来る私にはぴったりの編集でした。。と言っても未だ途中ですが、皆様に早くお知らせしたくなりましたので急いでアップさせていただきます。

          坦々塾事務局 大石朋子

『逆説の政治哲学〜正義が人を殺すとき〜』 【新刊案内】

岩田温著(ベスト新書)


逆説の政治哲学.bmp


 「国家とは何か」、「民主主義は正しいのか」、「本当の『正義』とは何か」…
 「政治」にまつわる根本的な問いに対し、プラトンやキケロといった古の賢者の至言、あるいは人類にとてつもない災厄をもたらしたレーニンやヒトラーといった独裁者の叫び声を参考に、そこにある「思想」と「哲学」を明らかにしていく。
 最良の体制とされている民主主義からヒトラーが出現したこと。情熱に燃える若者がその情熱ゆえに引き起こした惨劇。愛と憎悪が交錯するナショナリズム。見つめれば見つめるほど、複雑な現象に満ちている「政治」とその背後にある「哲学」を、古典や歴史を例に挙げながら、分かりやすく読み解いていきます。
 巻末に作家・佐藤優の解説つき。震災、原発事故、政治の迷走…、先行き不透明な今、私たちの生活から切っても切り離せない政治そして「思想」を考える一冊です。

http://www.amazon.co.jp/dp/4584123349/

●序章:かくも劇的で非合理な世界

●第1章 政治はこうしてできている
第1節 仲間かライバルか――カール・シュミット
第2節 争いが集団を強くする――マキャヴェッリ
第3節 嫉妬が人を陥れるとき――プルターク
第4節 エリートのただ一つの条件――オルテガ
第5節 金よりも徳――キケロ

●第2章 保守か、革新か―二つの政治思想を考える
第1節 国家は誰のものか――バーク
第2節 靖国神社論争を考える――トゥキュディデス
第3節 ナショナリズムの光と闇――アンダーソン
第4節 権威にはそれなりの意味がある
             ――ヒューム
第5節 ポル・ポト革命とは何だったのか
             ――メッテルニヒ

●第3章 民主主義が最良だなんて誰が言った?
第1節 熱しやすく醒めやすいのが大衆
             ――シェイクスピア
第2節 民主主義が独裁を生む――プラトン
第3節 大衆はこう操作せよ――ヒトラー
第4節 ニーチェが忌避したぬるま湯社会
             ――ニーチェ

●第4章 本当に恐い全体主義
第1節 嘘で塗り固められた国
           ――ハンナ・アレント
第2節 思想とイデオロギーの違いとは何か
           ――マルクス
第3節 人間は戦争で輝く?
           ――ムッソリーニ
第4節 暴走したナチズムの理想――ヒトラー
第5節 共産主義・虚像のユートピア
           ――レーニン

●第5章 正義はやがて、狂気に変わる
第1節 新自由主義者はこう考える
           ――フリードマン
第2節 「弱肉強食」の世界は正しいか
           ――プラトン
第3節 努力すれば、いつか報われる?
           ――旧約聖書『ヨブ記』
第4節 自己中心主義と利他主義――アイン・ランド
第5節 正義で人は殺せるか
           ――アナトール・フランス
第6節 「純粋」と「狂気」は紙一重
           ――パステルナーク

●第6章 本当の「正しさ」とは何だろうか
第1節 なぜ法律が必要なのか――ホッブズ
第2節 悪法でも守らねばならないのか――キケロ
第3節 権威を構成する4つの要素――コジェーブ
第4節 政治哲学に課せられた宿命
           ――レオ・シュトラウス

880円(税込)
新書版


284ページ
http://www.amazon.co.jp/dp/4584123349/
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2011年06月25日

第21回坦々塾 浅野正美



  第21回 坦々塾 平成23年6月4日(土)

     
  「脱原発こそ国家永遠の道」

     講師 西尾幹二先生


       坦々塾会員 浅野 正美

 原発の問題は日本の国家の問題である。我が国は佐藤栄作首相時代を基点として、改憲の旗を降ろし、非核三原則を宣言し、NPTを批准することによって、ふやけた、クラゲのような国家になってしまった。これこそ第二の敗戦である。NPTとは、敗戦国である日本とドイツが核武装しないための、戦勝国による計画的な政策であった。ただし、西ドイツのシュミット首相はアメリカのSS20を借りて、核の発射の自由権を持っていた。そうしたことが88年から89年にいたるソ連の崩壊に繋がった。日本にもそうした選択肢があったにも関わらず、今もってそうした意識を持たない。NPTを批准するということは、永遠に核兵器を放棄するということであり、批准を逡巡した長い時間には、そうしたことへの不安を当時の政府が持っていたことを表している。

 少なくともそれまでの政治家には曲がりなりにも国家感があったが、これ以降は自民党が国を売ってしまった。経済発展を代替ナショナリズムとし、1965年から今日まで、ここにいるすべての人が最重要活動期として過ごしてきた時間を、国家として何でも金で解決してきた。竹下登首相は外国のためになるODA、そのことによる代償を求めてはいけないという哲学を持っていたが、こうした外交戦略なきばらまきに対して、世界は全然日本を相手にしなかった。

 国家とは、政治、経済、外交、軍事という四つの車輪がバランスよく回転して運営されるべきにも関わらず、我が国は経済だけが肥大したため、アメリカが台車に載せて運んでくれなければ前に進むこともできなくなってしまった。国家としての自主権を失ったままである。大東戦争は自分で判断し、自分で始め自分でおわらせたが、今の日本には自分というものがまったくない。

 メア元日本部長失言の本質は沖縄問題にはない。メア発言の真意とは、日本は改憲などする必要はない。改憲をし、真の独立国家となれば今ほどアメリカを必要としなくなる。そうした事態はアメリカにとっても困ることであり、アメリカの真意は日本が隷属された状態を永遠の目的としているからである。こうして日本の文化は衰滅せられ、すでにおかしなことになってしまった。

 日本が原子力を導入したときの総理大臣中曽根康弘は、核武装を意識して原発を導入したのかという質問に対して、純粋に平和利用のみ考えていたと最近答えている。我が国は原子力の平和利用という名の策術に引っかかってきた。平和だけで原子力をコントロールできると思った。実は、非軍事による原子力利用にこそ限界があった。

 我が国はアメリカもフランスもやらない道を真っ直ぐに走ってしまった。実は福島の事故以上の問題を我が国は抱えている。敦賀の「もんじゅ」には運転も廃炉もできないまま、発電量0でありながら、年間500億円という巨費を今後50年以上にわたって支出し続けなければならない。接合部分の留め金が落下して燃料棒の交換もできず、ナトリウム爆発、炉心の露出による原子炉の暴走といった危険が常にある。この高速増殖炉は活断層の真上にあり、万が一の事故が発生した場合には、半径300q、場合によっては日本全国が汚染される危険がある。少なくとも関西全域が汚染される危険性は非常に高い。プルトニウムの自己増殖はアメリカもフランスも決して手を付けなかった。核技術大国、核武装国家であるからこそ、核の力の本当の恐ろしさを知っていたからである。核の恐ろしさを知らないのが日本であり、平和利用という脳天気な発想もそうしたことが原因としてある。


 六ヶ所村の再処理工場も事故で停止しており、陸奧の中間貯蔵施設も未完成である。六ヶ所村では札束が乱舞しており、村民の平均年収も極めて高い。福島も浜岡も使用済み燃料は現地で保管しているが、何かあれば六ヶ所村も同じリスクを抱えている。このように、核燃料の処理コストは莫大でありながら、最後に残った核のごみに関しても世界のどこも解決できないでいる。300メートルの地下に密封して埋めるという方法が模索されているが、引き受ける自治体はない。

 東電よりも一番悪いのは政治である。もっとも腹立たしいのは、内閣府の原子力安全委員会、経産省の原子力安全保安員である。前安全委員長は「万全の対策を取ることはできない。そんなことをしたら経費がかかってたまらない。」と発言した。これは東電の論理であって安全委員会は立場が違うはずである。要するにみんな「グル」である。最終処分に関して斑目氏は、「お金ですよ、アハハハハ。二倍にするんですよ。それでも駄目なら五倍にする。札束積まれていやだという人は誰もいない。」と宣った。彼の海水注入中止問題における釈明も、素人が普通に聞いて、常識的に判断すれば、何らかの危険があると受け取られて当然の内容であった。現場の吉田所長による英断によって最悪の事態は避けたれたが、兵は立派で隊長が駄目だという我が国の弊害をあぶり出した。下がちゃんとすることで、かろうじてこの国は保っている。さらに、金で買収されたマスコミ、政治家によるバイアスも我が国の原子力行政をゆがめた。

 今回の事故は原子力村の幹部が主犯である。東電の現場は頑張っている。一蓮托生の原子力村、この村の構造が事態を悪くしている。原発は減価償却後の40年を過ぎると非常に収益性が高くなる。保安院、安全委員会は東電とグルになって金儲けに狂奔した。今後も原発を増設し、電力シェア50%を目指した。オール電化はそうした流れにのった営業戦略であった。

 ロボット大国の我が国が、今回の非常時においてアメリカの軍事用ロボットに頼った。日本に耐放射線ロボットはある。東海村事故を契機に30億で作られたが、電力会社は原発事故は起きないという前提に立っているため買わなかった。また、最悪を考えることは不安を煽ることだという理屈をいった。要するにビジネスとして成り立たないものは駄目だということである。ここには技術はあっても精神がない。世界一のロボット大国にしてこの体たらくである。原子力事故ロボットの予算は小泉構造改革によってカットされた。ソーラーパネルも然り。当時シャープの技術は世界一であった。第二の敗戦ここにきて極まった感がある。

 原発事故は戦場である。我が国は戦場を想定していない自衛隊と、事故を想定していない原子力運用をしてきた。今回の事故によって同胞は生存を脅かす不安に包まれている。フランツ・カフカの「城」に通じる不安である。福島では自主的非難する住民もいるが、早い段階から学童集団疎開を提唱して来た。


保守の一部に見られる精神主義的益荒男(ますらお)振りに付いて一言いいたい。反権力、反政府、秩序破壊といった左翼イデオロギーの否定が保守であると考えられている。果てしのない体制破壊の後には何も残らない。こうした民主主義の限界に対する嫌悪、反・反権力が保守だと思っている人は多い。確かに学生風論議や、戦後のマルクス主義が背景にあった政治活動に対してはそうしたことがいえる。ただし、こうした人達に共通していえるのは、保守思想原理主義だということである。

 保守思想の根底には、権力否定に対する反感がある。ただし、それも時によりきりである。大きなものは間違いなくグロテスクになる。東電、自民党、ブッシュ政権、中ソの共産党、どれもグロテスクである。それに対する否定や嫌悪は自然感性、市民感情であって、これは左翼ではない。国家とはとかくグロテスクである。行き過ぎたときには市民としての常識を働かすことが必要である。今後も今回の事故とは違った危機はあると思われる。個人に求められるのはバランス感覚である。

                       文責 浅野 正美
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2011年06月23日

西尾幹二全集が出版されます


     西尾幹二全集がが出版されます。


西尾幹二全集.bmp


以下をクリックしていただくと、詳細がPDFでご覧になれます。ちょつと時間がかかりますので、のんびり待ってください。

西尾幹二全集.pdf


世 009.bmp



posted by 坦々塾事務局大石朋子 at 22:31| Comment(1) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月02日

「脱原発こそ国家永続の道」に思う 馬渕睦夫

西尾先生の論文「脱原発こそ国家永続の道」に思う  6月1日

         坦々塾会員   馬渕睦夫

 西尾先生のWiLL7月号の論文「脱原発こそ国家永続の道」は、同じくWiLL6月号の「原子力安全・保安院の『未必の故意』」の二つの論点、すなわち@なぜ日本は最悪の事態を想定できないのか、及びA米国技術である原子力発電を導入するに当たっての問題点、を国家的視点からより絞って論じられ、脱原発の立場を鮮明にされたものと考えます。
従って、7月号論文を理解するためには、6月号論文を読む必要があります。6月号論文については、7月号の堤・久保両氏の「蒟蒻問答」で取り上げられており、「『和』を乱す者が排除される日本の精神風土が、原子力村で異論を唱えるものを排除した結果、今日の原発事故を招いた」と西尾論文の主旨を要約し、「和」の功罪について両者の間で議論されています。この問答もあわせ読むと、西尾先生が6月号で提起された論点がより明確になると思います。

 私なりに整理しますと、6月号で指摘された二つの論点の根は結局ひとつに問題、すなわち「外来文化(技術)をどう導入するべきか」に集約され、それが7月号論文になったと理解します。6月号のポイントは、原発技術は自然を加工するという欧米思想から生まれたもので、その前提には人間の対立関係を前提とする「個人主義」から来る相互監視のシステムがある。しかし日本は性善説で「和」を優先するため、閉鎖的な相互無批判社会になり、最悪の事態を想定することができなくなる、ということでしょうが、私が特に注目したのは、以下の件です。「『個人主義』が全てにわたって優位にあるとは必ずしもいえない。ただ、自然科学はそもそも欧米からきた。そこに日本の伝統技術も加算された。原子力発電は日本で進歩が著しいといわれるものの、いざ事故が起こってみると、事故対応の役に立つロボット技術ひとつ用意されていない」(198ページ)。

 ここで「日本の伝統技術も加算された」と述べられていますが、実は加算の仕方が十分ではなかったのであり、その点が7月号論文で極めて明白に以下の通り指摘されています。
「ホンダでも、トヨタでも、一流の企業文化には必ずそういう人間力と技量と哲学を兼ね備えた技術者(馬渕註:事故事例を追及し、二度と同じ事故を許さないとする強い信念と哲学を持った技術者)たちに培われた時期というものがある。残念ながら、日本の原子力発電は、そういう歴史を持っていない。基本的にアメリカの模倣であり、加えられた日本の技術は改良技術にとどまっている」。アメリカ製原子炉の構造の改良は地震国日本に適応するには不十分で、「国鉄やトヨタやホンダのような国産の企業文化、技術文化のうえに立脚していないのがわが原子力産業の実態であり、その馬脚が露骨に現れたのが、今回の事故であったといわざるを得ないだろう」(52ページ)。

 まさに指摘の通りで、福島原発はアメリカの原発技術を導入するに当たって、日本の実情に合うように造り変え土着化させた「国産」技術でなかったが故に、事故の発生を防げなかったのみならず、事故処理をどうやっていいかわからないというドタバタの醜態を招いたということです。国産でない、土着化していない技術は、日本の国情に合っていない不安定な技術であり、社会に混乱を招く原因になることを示しています。この論理のアナロジーとして、日本の安全保障、軍事力もアメリカに頼り「国産」ではないことの危険に気づかなくてはならない、憲法を改正して「国産」の軍隊を持つべしという主張になります。そうすれば、商人国家路線も完全に終わることになるでしょう。結局、国土を汚染するから脱原発という理由もさることながら、西尾先生の本意は、日本の行うべきことは日本国家が国家たることを妨げている根本原因であるアメリカ依存(外来文化依存)からの脱却であって、それが脱原発という言葉で象徴されていると私は解釈しました。だからこそ脱原発は「国家永続の道」なのです。
        
posted by 坦々塾事務局大石朋子 at 12:54| Comment(2) | ゲストエッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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