2011年09月07日

第22回坦々塾勉強会に出席して足立誠之



第22回坦々塾勉強会に出席して

  坦々塾会員 足立 誠之

 今回は会員溝口さんによる著書「絵具と戦争」に沿う講義と西尾先生の講義の二本立てでした。両講義共これまでになく会が追及している課題に迫るものでした。

溝口さんの講義を聴くにつれ、「絵具と戦争」という表題から受けていたイメージとはかなり違った深い意味がこの本にはこめられていると感じました。
 絵画というものは、心を表すものであり、画面を通じてその時代の雰囲気まで醸し出すものでもあります。ですからその影響力には恐るべきものがあると言えます。
藤田 嗣治は、戦時中、軍に協力し、戦意高揚のために戦争画を描いたとして、戦後糾弾されました。
 そこにあるものは、日本国民は戦争を嫌っていたが、アジア侵略のために指導部がむりやり国民を騙しておこなったのが"太平洋戦争"であったという、占領後に刷り込まれ未だに我が国の"公式見解"だとされる歴史観と同根です。
 ところが何故か藤田をはじめとする多くの著名画家の戦争画が占領軍によって接収され、国民の目から引き離され、あまつさえ、多くの作品がサンフランシスコ講和会議の直前に米本国に移送されたとの講義内容でした。
 そこに大きな意味があったと考えさせられました。

 溝口さんは、著名画家によって描かれた戦争画の一つ一つについてGHQによって接収されたものか否かを説明して下さいました。
 接収された絵の中にはフィリピン、コレヒドール要塞での戦闘が終わった後の降伏した米軍兵士と日本軍兵士との和やかな交歓風景を描いたものもありました。この絵が戦後接収されることなく一般に展示されていたならば、"バターン死の行進"はプロパガンダの一種の虚構であると世の中は理解したでしょう。
 藤田の描いたサイパン島の最後の場面などは、「侵略戦争のための戦意高揚」とは全く結びつきません。
 接収された戦争画に描かれたものは、日本の自立自尊、アジアを欧米植民地支配から解放するという崇高な戦争目的が前線から銃後に至るまでみなぎっていた姿だったのです。
 ですから、そうした姿を国民の記憶から洗い去ることこそ、戦争画接収の目的だったわけです。
GHQ焚書は絵画にまで及んでいたことにその執拗さ、徹底振りが理解されます。
(視覚障害者の私には、スライドは見えませんので、以上は溝口さんの講義から私なりに受け止めたものであり、或いは誤解、あやまりもあるかと思いますので為念)


 西尾先生は日米戦争にまで至る日米関係を世界地図、世界歴史上で俯瞰されました。

 講義の中で興味深かった点の第一は戦前において、日本人が米国との戦争が起きるとは想像していなかったという点です。これは私の中にあった疑問でもあります。米国の対日政策は、日清戦争後に策定した日本を仮想敵国とするオレンジ計画が形になった最初に目をひくものですが、昭和14年7月26日の日米通商航海条約の一方的な破棄通告に至っては、私には開戦の意思を露骨に示すものであるように感じます。

 昭和15年9月の三国同盟締結の際に、日本の指導部は日米戦争の淵に至ったという考えはなかったのでしょうか。

 私事ですがカナダに住んでいた折、知り合いの日系二世の老婦人が自分は戦前小学校から日本の学校に"留学"していたが、三国同盟締結を聞くや、父親がカナダからかけつけ、私は「日米開戦が近い」と告げられ、親に連れられてカナダに帰った、と述懐していました。

 おそらく米国内には、日米通商航海条約破棄以降対日戦争準備が進められ、ハル・ノート、に至るロードマップが作られていたのではないかと思われます。
 年表をどう読むかによって歴史観は変わるものですが、年表を見ていく限り、日米通商航海条約の破棄以降ハル・ノートに至るまで、日米の関係で、米国は常に日本に直接的な損害を与える政策を行っているのに対し、日本が米国を直接的に損害を与えるような政策を行ったことは、ほとんど見られません。(昭和16年7月28日の日本軍の南部仏印進駐は、日仏間の問題であって、米国の利害を直接的に犯すものではありません。)
 そこに日本の指導層に米国との戦争にならないとの意識が生まれたのではないかと想像されます。
 これは暗黙の国際ルールを巡るものであって、日本は自らを含めて国際的な暗黙のルールが適用されると考えていたのに対して米国は欧州諸国にはそうした暗黙ノルールを認めることがあっても、日本あるいは有色人種国家にはそれを適用しないというダブルスタンダードで臨んでいたということになるのでしょう。

 先の日系二世のご婦人の父親がいち早く日米開戦を予想したのも白人国家で暮らし、白人の間に厳然としたダブルスタンダードが存在することを熟知していたからだと考えられます。


第二の点は、米西戦争の世界史的な意味を講義された点です。

 米西戦争は、キューバとフィリピンを米国がスペインから奪った戦争としてしか理解していませんでしたが、それはスペインが大航海時代以来保持してきた西半球への覇権、影響力、と太平洋の覇権と影響力がついに失われるという歴史の大転換点であったという内容で、目から鱗が落ちる思いが致しました、


 三つ目の点は、シナを巡りあれほどまでに執拗に日本を追い詰め遂には対日戦争まで行った米国が、なぜあっさりとシナの共産化を許したのか、という疑問をていされました。

 確かに米国にはmanifest destinyという一貫したものがそんざいしている一方で、路線変更が見られます。
 特にシナ大陸の共産化の過程での、米国の蒋介石政権と中国共産党への対応には理解できないところがあります。

 最近出版された「戦後日本を狂わせたOSS日本計画」(田中英道著、展転社)は私には未だ疑問点が多い本ですが、日本の敗戦後の国共内戦において米国が何故、蒋介石軍の攻撃を停止させ共産軍に立ち直りの機会を与えたのかについての疑問の説明にはかなり納得できるものがあります。

 田中氏の説明では、FDルーズベルトは隠れマルキスト、社会主義者であり、ルーズベルト政権はコミンテルンのエージェントとは別に政権自体フランクフルト派社会主義者による政権であり、OSSはその典型的な組織で戦後の日本占領政策もこの、コミンテルンとは別系統の共産主義者(社会主義者であるフランクフルト派が主導したものであったとしています。

田中説によれば、ルーズベルト政権の米国の対中政策は中国の共産化ということになるのですが、果たしてそこまで言えるものなのかは疑問です。


 いずれにせよ、米国の対中政策、対日政策については多くの矛盾が存在しており、その解明には未だ至っていません。
posted by 坦々塾事務局大石朋子 at 08:57| Comment(1) | 坦々塾報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月01日

中国高速鉄道事故と原発問題足立誠之

中国高速鉄道事故と原発問題

 ―脱原発は即原発事故の一掃には結び付かない―

   坦々塾会員 足立 誠之

 7月に起きた中国高速鉄道事故報道は我々を驚かせました。

 何しろ事故車両を重機で破壊し埋めてしまい、それが問題になると今度は掘り返し、挙句の果てに鉄道部(省)次官が「事故車両を埋め隠蔽しようとした事実はない」と発言したのですから、その異常振りは他の国には見られない類のものです。
 これは以前に記したことのある、孔子に始まる"避諱"(ヒキ)という言葉によってのみ説明できるものでしょう。
 "避諱"は仁や義と同様な徳目の一つでありその性格は、林思雲氏によって以下のように説明されています。

 「中国人にとって歴史と言うのは事実の積み重ねでなくともいいのです。それどころか国家にとって都合の悪いこと、不名誉なことは一切明らかにしてはいけない。それが国を安定させる、それで世の中が治まるという考え方です。そのために積極的に嘘をつくことは倫理的に正しい行為なのです。中国人がものごとを大げさに言ったり、平気で嘘をついたりするのを、ただ相手を騙すためなのだと考えるのは大きな間違いですね。中国人が嘘をつくのは自分のためと言うより、家族や国家のためという場合のほうが多い。これは中国人にとって動かしがたい伝統的な心性であって、それを知らないと中国人の歴史認識は理解できません。」
        (WiLL別冊09年5月号)

 この"避諱"を突き詰めて行くと、真実、事実の探求を出発点とする科学の精神は中国にはまだ確立していないということにもなり、日本や欧米とは文化、文明を異にする世界ということにもなるでしょう。尚これは価値観の座標軸に違いがあるということであって、中国が間違っているということとは少し意味が違います。
 今回の高速鉄道事故のこうした背景を考えると中国における事故の恐ろしさが分かります。

 何をおいても最も恐ろしい事故は原発事故です。
中国は今猛烈な勢いで原子力発電所の建設を急いでおり、現在二十数基の原発に30基増設しようとしてると言われます。
こうした原発は冷却水の確保のため大部分は沿海地区に設けられることになります。
鉄道事故から懸念されることは、そうした原発の事故の可能性とそれが及ぼす結果です。
"避諱"という文化を引きずっている中国の原発が安全に運営・管理されるかと言う点が真に危惧されるのです。
 若し事故が起きれば、放射性物質は偏西風に乗って我が国に降り注ぐでしょう。
日本のマスコミは沈黙していますが、中国の工場地帯で発生する汚染物質、ダイオキシンやマグネシウムは黄砂に乗って、北米大陸の東海岸にまでたっしていますし、当然それ以上の汚染物質が日本に降り注いでいる筈なのです。これも日本では殆ど報道されていませんが本年6月には渤海湾で、油田から原油流出事故が起き、東京都の2倍の海域が汚染されつつあるとのことです。炭鉱では毎年数千人の事故犠牲者がでているとされます。

 昨年には、大亜湾原発(広東省、香港に近い)で放射能漏れ事故が起きましたが、この時も情報は徹底的に隠蔽されました。
 ここで述べておきたいことは、仮に我が国があらゆる犠牲を払って、原発ゼロを達成したとしても、中国が猛烈な勢いで原発建設を急いでいることから、原発事故、放射能事故の危険性、可能性から逃れられないということです。
 原発を一国の国内問題として対応することはもう出来なくなっているのです。
 7月28日のBSフジテレビ番組で天野IAEA事務局長が、「日本が脱原発を選ぶか否かは日本自身が決める問題」としつつも「世界の原発はこれからも増え続けるであろう」と述べています。
特に中国をはじめとし、ASEANを含む我が国の周辺国で脱原発に向かう国はなく、いずれの国も増設へ向かいつつあります。

 今回の福島原発事故で、東電始め原発にかかわる人々は全てと言ってよいほどマスコミや世論の非難の的になりました。
 然し、今日、日本の原子力発電にかかわる技術水準は世界の先端にあることも事実です。
そして避難の最中にあっても、福島原発事故の修復に当たっている「現場力」の士気と質の高さは、IAEAを始め仏アルバ社や米キュリオン社などの高い評価を得つつありますし、困難を克服しつつあります。

 原子力発電所の建設は、金属工学、鉱学、化学、電気、エレクトロニクス、機械、工学、土木、建設、などあらゆる分野の粋を集めた総合的なものの上に成り立っています。仄聞するところ、世界の中でこれを本格的に手掛けている企業は、日本の重電3社(三菱重工、東芝、日立)と仏アルバ社の4社だそうです。
 過去の原子力発電所事故では、スリーマイル島事故は操作ミスによる冷却の停止が原因であったのに対して、チエルノブイリ事故では原子炉の核分裂が暴走し、原子炉が爆発したことでした。
今回の福島原発事故は、地震と津波に対して、核分裂の停止には成功したものの、電源が断たれたことで、冷却機能が失われ燃料棒が溶融してしまったことでした。
 今回の福島事故についての事故原因の究明は既に開始されています。世論やマスコミは「誰が悪かったのか」というスケープゴートづくりに血道をあげていますが、それよりももっと肝腎なことは、事実を徹底的に調べ、事故原因とそれへの対応を追及することであり、「原発事故ゼロ」の「安全文化」を構築していくことでしょう。

 世界中で原発が増設されて行く中で、これから必要になることは、「原発事故ゼロ」のための国際ルール作りです。
 原発先進国の日本がこの福島原発事故を徹底究明することで、こうした国際ルール作りをリードできる筈で、又そうしていかなければならないと考えます。
 それをしなければ、世界は勿論、我が国も原発事故の脅威から逃れることはできないのです。
「脱原発、原発ゼロ」を政策目標にすれば、何がおきるでしょうか。
今まで原発にかかわる分野、それに関連した広範囲な分野に従事してきた有為な人材は職をうしなうことになります。

 こうした人々は中国や韓国に新天地を求めることになるでしょう。バブル崩壊後、先端産業でのリストラでこれは既に経験ずみです。そして韓国や中国の競争力の増大となりブーメランの如くに我が国先端産業の脅威となっています。

 「脱原発」後の日本には、原発にかかわる広範囲にわたる有為な人材と蓄積した技術・ノウハウは失われるでしょう。
 そうなれば、もう原発にかかわる国際ルール作りでのリーダーシップどころではなくなります。それは、世界の原発事故の一掃を妨げるだけではなく、我が国に原発事故の脅威が存続することを意味します。そして今回"現場力"によって得られた新たな貴重な財産も失われてしまうのです。

posted by 坦々塾事務局大石朋子 at 09:27| Comment(0) | ゲストエッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月19日

お知らせ


    皆様へ

               平成23年8月19日

             西 尾  幹 二

 来る9月3日(土)の第22回坦々塾とその後について、お知らせと計画をお伝えします。

 ご承知のとおり私はいま種類の異なる三つも四つもの課題に取り組んでいて、やゝ疲れております。その中で最も時間を奪われているのは近づく全集刊行の課題で、後の巻の編集と今の巻の校正・解説が同時に重なってきて、考えていた以上に大変な重荷であることが、分かってきました。

 年四回の坦々塾と年四回の全集刊行を別々の内容で両方実行することは難しく、坦々塾を止めることも考えました。熟慮の末、坦々塾をより大きく発展させ、クローズドの会をオープンな会に改め、来たい人は誰でも来れるようにし、全集の出た翌月に全集各巻のテーマをめぐる私の解説講演会を開くという方向の新しい試みを考えています。

 9月3日の例会は、いつもの通りですが、その次の第23回の会は11月19日夜に開催する予定です。主催は国書刊行会、入場無料、豊島公会堂を予定しています。

 全集は10月、1月、5月、8月の順に出る予定なので、順当に行けば会合も各翌月に開くことになりますが、11月19日の第一回記念講演会以外には詳しい内容は決まっていません。皆さまのご希望もうかがいます。

 9月3日(土)の坦々塾例会はいつもの通りです。今回は外部講師の招待講演はないので、開始は3時。溝口郁夫氏のスライド付き講演「絵具と戦争」のあと私が約1時間〜1時間半担当いたします。

          不一

  <追加のお知らせ>

坦々塾の皆様へ

 次回の会での私の講演のテーマを決めました。
    
     アメリカと満州
 
 これがアメリカの対日戦争の動機でした。
 GHQ焚書図書開封 5 で、アメリカのハワイ併合はくわしく語りましたが、満州との関連は不十分でした。それを補います。

           西尾幹二



坦々塾へのお問い合わせは 
tanntannjyuku@mail.goo.ne.jp 
坦々塾事務局まで




posted by 坦々塾事務局大石朋子 at 16:57| Comment(0) | 西尾先生からのお話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月02日

「逆説の政治哲学」感想文 浅野正美

  「逆説の政治哲学」感想文

   坦々塾会員 浅野 正美

   
逆説の政治哲学.bmp

   

 著者の岩田さんと初めてお会いしたのは、岩田さんが早稲田大学の学生のときでした。そのときなぜか、この人は将来学問(知)を通して世に名前が知られる存在になるであろう、という予感がしました。そして現在、大学に職を得て、二十代にしてすでに数冊の著作を著した実績を見るまでもなく、私の予感は見事に当たった、といっていいと思います。

 本書の特徴は何といってもその読みやすさにあると思います。ですます調の平易な文章で語られており、それぞれの章立ても短く、読書の苦手な読者でも、まず興味を引きそうなテーマを選んで読むうちに、きっと他のテーマも読みたくなり、知らない間に一冊を読了できるようになっています。しかも、各章ごとに岩田さんの寸評と共に推薦図書が紹介されていて、さらに深く学びたいと思った読者は、最短距離で古今東西の碩学の叡智を学ぶことができるという仕組みになっています。

 副題に「正義が人を殺すとき」とあるように、本書を貫いているテーマは、理想や偽善を排した人間の本質を追究する姿勢にあると私には感じられました。



 本書のスタイルは、数千年に渡る人類文明の歴史の中で、時間という最大の関門を超えて今に生きる哲人から近代の独裁者まで、そうした彼らが残した膨大な言葉の中から、珠玉(反語も含めてですが)ともいうべき言葉を選び抜き、その言葉に沿って人間洞察を究めるという形で書かれています。先に本書は文章が平易で読みやすい、と書きましたが、語られている内容は人間の深奥に潜む正邪や愛憎といった、人間理解にとって極めて本質的な問題ばかりです。

 岩田さんの「知力」で特筆されることは、本文や推薦図書を見ても分かるように、教養の土台に哲学、政治学、歴史と並んで、それらと同等かそれ以上の比重をもって、文学を重要視しているということにあると思います。本書を読んでいて思い出されたのは、魏の初代皇帝、文帝(曹丕)が著した『典論』の一節である「文章経国大業、不朽之盛事」(文学は国を納めるのに匹敵する大事業であり、永遠に朽ちることはない)という言葉でした。あらゆる芸術の中でも文学とは、一人の作家が人間を理解しようと格闘した精神の軌跡ともいうべきものですが、それ故に最高の文学者の言葉には、最高の哲学者の言葉に匹敵する力があるということを、この若さにして見抜いている慧眼に、私は脱帽するばかりでした。

 本書とは直接関係ありませんが、岩田さんはクラシック音楽にも深い造詣を持っておられます。人間が産み出した最高の美の結晶ともいうべきあらゆる教養を摂取することによって、本書は産み出されたといってよいと思います。

 また、岩田さんはねじれた西欧コンプレックスを抱くことなく、彼らの果実を我がものとする傍ら、我が国の神話、古典から近代文学も決して蔑ろにすることがありません。保守の神髄を祖国を貫く一本の支柱に見出しつつ、思索は同時に人間の普遍性にも飛翔します。



 人間の愚かしさや悲しみを突き詰めて行くと、そこでは身も蓋もない現実と対峙せざるを得ないということを、本書からは知ることができます。岩田さんは哲学が人間の本質を究めれば究めるほどに、現実の社会生活との軋轢に苦しむということも率直に語っています。

 政治家や新聞が、一定のきれい事と建前で我が身を飾るのは、社交や品位を保つ上での必要悪だと思います。ただし、そうした立ち居振る舞いをするために欠かせないのは、本書で語られているような教養に裏打ちされた人間理解であろうと思います。自由、人権、民主主義といった、近代市民社会とともにうまれたとされる概念は、もはや否定を許されない聖域となってしまいました。懐疑という、何かを考えるときのスタート地点に立つことすら許されなくなりました。こうした価値が決して人類普遍の価値でないことを、読者は本書を読んで知ることができます。また正義すら、不正義の手段たり得るということも知ることができます。

 本書を読んでほしい人として、私は何よりも政治家と教師を挙げたいと思います。国家の二大リーダーたる政治家と教師こそ、哲学による武装をしなくてはなりません。
 単なる一営利事業者でしかないマスコミにそれを期待することはまったく不可能なことで、これからも彼らは嬉々として国民をミスリードして行くことでしょう。そのとき世論という津波の防波堤になれるのは、本書で語られている人間理解に他ならないと思います。

 一人でも多くの個人の中にこうした正しい批判精神が宿ったとき、口当たりの良い飴玉を吐き出し、ときには苦い薬を飲まねばならないこともあるという選択をなし得るのだと思います。

 もちろん若い、これから政治学や哲学を学ぶ学生も、あるいは別の学問に進んだ学生も、一人でも多く読んでほしいと思います。本書に書かれていることは、学校で習ったことや、マスコミが伝えてきたこととは正反対のことも書かれていますので、最初は戸惑うかもしれませんが、自らの人生を振り返ってみれば当てはまることがたくさん見つけられて、きっと驚くことと思います。

 みんなで話し合って、お互いを信じて仲良くすれば、争いのない平和で安全な生活が送れる、という夢から一人でも多くの日本人が目覚めてほしいと思います。

 日本人は実に素晴らしい天分や気高さを持っています。そのことは、今回の東日本大震災における被災者や、災害現場で懸命に使命を果たした多くの同胞の行動によって、世界から激賞されました。ただしこうした部分だけを見つめて、陰の部分に目をつぶって来たことがすでに我々の宿痾となっています。複雑で矛盾に満ちた人間だからこそ、それと格闘する醍醐味も大きいのではないかと思います。本書では人間の我欲や利己心を悪としてではなく、本質として理解することを丁寧に説いています。ただし決してペシミズムの書ではありません。科学や文明がどんなに進歩しようとも、人間の本質は変わらないということをわかりやすく学ぶことができます。

 つい最近も、いわゆる「ガラガラ・ポン」をすればたちまち世直しが成るという幻想を抱いて、日米の国民はより深い幻滅を味わったばかりでした。広義における政治の世界においても、(ぜひ本書を読んで政治とはいかなるものかという、著者の極めてわかりやすい記述に触れていただきたいと思います)こうした言説が罷り通っています。曰く人身一心、曰く新たなスタート、曰く第二の創業。革命はそうした中でも最大のイヴェントですが、本書では歴史上の革命を、共産革命も含めて冷静に分析しています。そこから導き出される結論は、恐ろしいことですが理想は人を殺すというものでした。それ故にこそ、漸進主義の大切さが説かれています。



 日々教壇に立ち学生達と向き合う中で、どうしたら複雑、難解な人間と、人間が織りなす政治の実相を伝えることができるだろうか、という知的格闘の成果として、深刻な問題を極めてわかりやすく語るという本書のような書物が誕生したのではないかと思います。また、本当に読むべき価値のある本とは何か、ということを知ることができるのも本書の大きな特徴ではないかと思います。それぞれのテーマで紹介されている本はどれも本物で、難解なものもたくさんありますが、ぜひ多くの人に挑戦してもらいたいと思われるものばかりです。そういう私にとっても未知の本をたくさん知ることができました。今から、こうした高峰に一歩一歩挑んでいこうと考えています。

 読書において、回り道をしながらも自分にとって理想の書物に出会えたときの喜びは例えようのないものです。特に若いときにそうした書物に出会うことは、生涯の師を得たに等しい価値のあることだと思います。人はそうした本との出会いを通じてより深く、より高い目的に向かって歩むことができるのではないかと思います。私にとって本書は紛れもなくそうした本の一冊になるものと思います。  浅野正美
posted by 坦々塾事務局大石朋子 at 21:09| Comment(0) | 読書感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年08月01日

教科書は「天皇」と「自衛隊」を どう教えているか





教科書は「天皇」と「自衛隊」を どう教えているか
   

    西村 幸祐 著

      総和社 

坦々塾講師会員の西村 幸祐さんの新刊です。
編集は同じく坦々塾会員の佐藤春生くんです。

もう少し早く読みたかったな・・・いえ、遅すぎると言うことは無い。

目次を見て、興味のあるところから読んでみると、他のところはどうなっているのだろう?と、最後には全部読んでしまう。と言う本です。

とても勉強になりました。





  
世 016.bmp
posted by 坦々塾事務局大石朋子 at 10:39| Comment(0) | 新刊のご紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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