2011年01月26日

福田恆在は東京裁判史観に漬かっていたか? 河内隆彌


福田恆在は
   東京裁判史観に漬かっていたか?


−「文学と戦争責任」読後感想ー

       坦々塾会員  河内 隆彌



 塾長のよびかけにお応えしまして、一文を提出いたします。小生もとより不勉強にて、福田恆在氏(以下敬称を略します)ご著作にほとんど触れたこともなく、日ごろ、文学、文学論に無縁ですごしてまいりました。見当違いや誤解釈が多々あろうと存じますが、広くよびかけられた塾長のご意向に沿って所感をつづるものにつき何とぞご寛恕ください。



 この論文(「文学と戦争責任」1946年11月15日付)の依頼を受けたとき

 この論文執筆は、福田が自発的、積極的に論題を決めて発表したものではないでしょう。多分、編集者から題を与えられ、受身の立場で出稿したものと思われます。(二、の三行目に「この出題は」云々の記述がある。)執筆契機の積極性、消極性の相違は、それだけで論旨をかなり左右するものですが、福田は最初から「文学者」の「戦争責任」論に触れるつもりはまったくなく、出題を奇貨として、日ごろ苦々しく思っていた当時の英雄(たとえば「転向」することなく獄中で戦争に抵抗し続けた共産主義者など)礼賛の風潮やプロレタリア作家の「政治性」を非難することとしたものと思われます。



 <福田にとっての「戦争責任」>

 福田にとって、「戦争犯罪」とか「戦争責任」ということばは、「はじめからごく狭義の特殊性をもった」、「その特殊性のゆえに一時期の一事象と深く結びついている」ことばでした。かれは出題そのものの胡散臭さを感じとっています。福田は、文学の「政治性」を否定するという立場をとって(「ことわるまでもないが、ぼくは政治について語っているのではない。ぼくの文章は徹頭徹尾、文化の領域において、文学について述べているのである」。)前述のように戦争責任そのものを問題にすることはしておりません。

 そのかわり、「戦争犯罪とは」と、福田はその定義を「常識」すなわち一般論にゆだねます。(「常識の理解しうるかぎりにおいて・・」と。)それは「帝国主義戦争を用意し、推進し、残虐行為に手を貸したこと」、そして「戦争責任とはその事実に対する責任」である。そして、かれら(文学者)の大部分は、「たしかにミリタリズムの強圧のもと、暴力的な強制によって宣伝的文字を筆にしていた・・」、しかしかれらの戦争協力は生活保証上やむを得ざるものであって、戦争責任を負うべきものではなく、その犠牲者にほかならない、と続けました。(ここでかれらを擁護はしているものの、後述のとおり、その行動自体は福田の批判の対象となっている。)

 過日坦々塾の塾長のお話で問題になったのはこの部分でした。ブルータスお前もか、戦後の保守の旗手、福田ですら東京裁判史観にどっぷり漬かっていた、と。



 <福田の史観>

 それでは福田自身の史観はどの辺にあったのでしょうか?この論文のなかでそれを検証すると:

まず、「国民一般は戦いに狂奔した。一部に反戦気分もないわけではなかったが、それは単なる不平不満にすぎず、それを自覚する政治意識にすりかえることは断じて許されない。知識階級はこういう無意識な混同をやりかねない。ぼく自身もそのことで戦争中に苦しんだ。戦争を否定するイデオロギーと個人生活を破壊する戦争への不平と、この二つの要素をぼく自身への同席を許さなかった。それはまたぼくのうちの世界意識と国家意識とのあいだの矛盾対立でもあった(傍線筆者)」、という文章に気づきます。

 福田のなかにはまぎれもなく、リベラリズムに属する世界観があって、同時に自己に存在するナショナリズムと相克していたことを物語っています。

もうひとつ、「戦争の世界史的必然性における悪」という表現もあって、文脈上、そのことば自体は否定されていないので、そういう史観の持ち主であったと推定されます。また戦時中のことを、暗黒のという形容詞を付しているところもあります。さらに、「当時の指導者の掲げる理想の虚偽を指摘することは必ずしも文学者の眼を必要としない」、というとき、福田の史観には戦争を全面肯定しない、いまでいうややリベラルの要素も存在しています。さはさりながら、戦争協力を戦争犯罪というなら、日本国民にしてそこからのがれられうるものはいくばくであるか、国民総懺悔の愚劣なるはいうをまたない、と言い切っています。ここには昭和21年という、敗戦間もない時点で、戦争そのものを整理しきれていない(戦争にantiかproかという二分法では割り切れない)当時の(文学者にかぎらない)一般の日本の知識人の困惑した表情が垣間見えますが、福田には少なくとも、

「何でも日本が悪かった」、という昨今のいわゆる自虐史観的要素は見当たりません。



 <文学者の混迷と堕落、文学の消滅>

 福田は「文学者の戦争責任などというものは信じてはいない」が、「このことばを文学の領域に適用せしめたひとつの事態はたしかに存在した。それは自己を喪失した文学者の混迷と堕落とであり、文学の消滅である。そのことをあからさまに洗いたてたのが、まず戦争であり、つぎに敗戦後における『言論の自由』にほかならない。この事実を理解し、批判するのには、なにも戦争責任という特殊な用語を必要としないのである」、といっています。この論文で、ここらが一番かれの言いたかったことではないか、と思います。

 さきに擁護した、生活のためにプロパガンダに従事した文学者たちのことも含めて言っているのでしょうが、ここで、こういう意味で文学を消滅させたものたちと、戦後、言論の自由によって、文学者の戦争責任を言い立てる往年のプロレタリア作家の行動とが見事に「連続」します。福田にとって、「文学者の戦争責任が問われているが、それはなにも文学者にかぎられない。またそれを批判するものも文学者である必要はない。それは純然たる政治問題であり、社会問題である。こと文学に関するかぎり、かれらの非は人間を愛し、人間を見ることのできなかった不明に帰せられねばなるまい。そしてそのことは戦争以前の文学がすでに露呈していた弱点であり、それはまた世界観の正確な把握を誇ったプロレタリア文学すらもまぬがれえなかった過失であった。戦争責任などということばの濫用はけっして許さるべきはずのものではない。が、いまは文学者の戦争責任をいうひとびとの大部分は往年のプロレタリア作家である。このひとたちはその事実を承知しているのだろうか」、と福田はいうのです。かなり難解ではあるものの、福田は、文学者が文学を通じて直接政治を語ることを否定、文学者はその本来の仕事、人間を見ることに専心すべきである、そして、こと政治、社会問題に対する関与の仕方は文学者だろうと一般人だろうと同じであり、濫用されている「戦争責任」などということばに惑わされることはない、といいたいようです。

 

 <結 語>

 当時はやりの「戦争責任」問題などを持ち出してきた編集者に対して(という状況をあくまで想定しているのですが、事実は違うのかも知れません)、福田はかなり皮肉っぽい、辛辣な文章を書いていると思います。少なくとも求めた側の意図は大きく裏切られたのではないでしょうか?

 のちの福田の姿勢からすれば、一部リベラルの記述があって目を引きますが、昭和21年というマッカーサー体制華やかなりしころ、とくだんの迎合をせずとも、それ以上の表現が出来る人間がどれほどいたでしょうか?

 この一文での福田の立ち位置は文学者に徹しており、その政治意識については、ごく普通の一般の日本人(知識層に属する)のもの以上ではなかったように思いますが、文学者としてできること、すなわち痛烈なプロレタリア文学者批判を展開しており、のちの評論活動とダイレクトに道はつながっているのではないでしょうか?

 いずれにせよ、福田のこの文章に、いまの価値観による「保守」の旗手の面影は乏しいとしても、「反共」の戦士としての論旨は充分なものがあります。そして時代は塾長の持論、「日本国内に三十八度戦があった」冷戦は、始まったばかりでありました。冷戦終結後の保守対リベラル(東京裁判史観ないし自虐史観)対峙の構図はまだ姿を現してはおりません。当時この文章に接した人は、福田は「戦争責任を認めない、反動人士だ!」と受け取ったに違いありません。(当時、「軍国主義!封建的!反動!」などということばが保守的な言説に対する最高の罵言でした。)

 冒頭に述べたとおり、小生自身は福田恆在についてほとんど勉強したことがなく、はなはだおこがましいかぎりですが、該論文の内容を以て、保守の側から同氏に失望する理由はあまりないのではないか、という意見です。

(2011.1.26)                       以 上







 
posted by 坦々塾事務局大石朋子 at 21:51| 東京 ☁| Comment(0) | 寄せられたコメントより | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月18日

14日付のコメントに補足 等々力孝一



   14日付、小生のコメントに補足します。
      坦々塾会員 等々力 孝一

 「変節」の語が適切か否かに拘る気はありません。

 小生が、福田恒存は「分かっていなかった」或いは「見失った」という意味は、いわば、日米相戦わざるを得ない宿命にあったことを、理解できなかったのではないだろうか、ということです。その結果として、敗戦後、軍人が批判される中で、「無謀」な戦争を開始した軍人に、責任の全てが帰せられることに、疑いの目を向けることに想到し得なかったのではないか。

 また、戦時中の軍による言論統制の過酷さが、文学者にとっては、軍に対する否定的評価になる要因として、無視し得ないでしょう。

 一方、どのように無謀な戦争であったとしても、一旦戦火が開かれた以上、国家のために戦うのは当然とする立場に、揺らぎはなかったことは言うまでもないと思います。

 開戦当時、指導層、軍人、知識人の全てが、この戦争を歴史的宿命と受け止めていたとは言えません。吉田茂を代表とする、「英米派」は、当然戦争は避けられる、と考えていた。国際情勢に対して開明的な認識は持っていたが、米英の「悪意」を見抜いていなかったと思う。それが、戦後の吉田政治にも引き継がれたと小生は考えています。(吉田は、徒に英米を美化していたわけでなく、特に米国に対して批判的であったことは疑えませんが。)


posted by 坦々塾事務局大石朋子 at 16:46| 東京 ☀| Comment(0) | 寄せられたコメントより | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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