2011年09月01日

中国高速鉄道事故と原発問題足立誠之

中国高速鉄道事故と原発問題

 ―脱原発は即原発事故の一掃には結び付かない―

   坦々塾会員 足立 誠之

 7月に起きた中国高速鉄道事故報道は我々を驚かせました。

 何しろ事故車両を重機で破壊し埋めてしまい、それが問題になると今度は掘り返し、挙句の果てに鉄道部(省)次官が「事故車両を埋め隠蔽しようとした事実はない」と発言したのですから、その異常振りは他の国には見られない類のものです。
 これは以前に記したことのある、孔子に始まる"避諱"(ヒキ)という言葉によってのみ説明できるものでしょう。
 "避諱"は仁や義と同様な徳目の一つでありその性格は、林思雲氏によって以下のように説明されています。

 「中国人にとって歴史と言うのは事実の積み重ねでなくともいいのです。それどころか国家にとって都合の悪いこと、不名誉なことは一切明らかにしてはいけない。それが国を安定させる、それで世の中が治まるという考え方です。そのために積極的に嘘をつくことは倫理的に正しい行為なのです。中国人がものごとを大げさに言ったり、平気で嘘をついたりするのを、ただ相手を騙すためなのだと考えるのは大きな間違いですね。中国人が嘘をつくのは自分のためと言うより、家族や国家のためという場合のほうが多い。これは中国人にとって動かしがたい伝統的な心性であって、それを知らないと中国人の歴史認識は理解できません。」
        (WiLL別冊09年5月号)

 この"避諱"を突き詰めて行くと、真実、事実の探求を出発点とする科学の精神は中国にはまだ確立していないということにもなり、日本や欧米とは文化、文明を異にする世界ということにもなるでしょう。尚これは価値観の座標軸に違いがあるということであって、中国が間違っているということとは少し意味が違います。
 今回の高速鉄道事故のこうした背景を考えると中国における事故の恐ろしさが分かります。

 何をおいても最も恐ろしい事故は原発事故です。
中国は今猛烈な勢いで原子力発電所の建設を急いでおり、現在二十数基の原発に30基増設しようとしてると言われます。
こうした原発は冷却水の確保のため大部分は沿海地区に設けられることになります。
鉄道事故から懸念されることは、そうした原発の事故の可能性とそれが及ぼす結果です。
"避諱"という文化を引きずっている中国の原発が安全に運営・管理されるかと言う点が真に危惧されるのです。
 若し事故が起きれば、放射性物質は偏西風に乗って我が国に降り注ぐでしょう。
日本のマスコミは沈黙していますが、中国の工場地帯で発生する汚染物質、ダイオキシンやマグネシウムは黄砂に乗って、北米大陸の東海岸にまでたっしていますし、当然それ以上の汚染物質が日本に降り注いでいる筈なのです。これも日本では殆ど報道されていませんが本年6月には渤海湾で、油田から原油流出事故が起き、東京都の2倍の海域が汚染されつつあるとのことです。炭鉱では毎年数千人の事故犠牲者がでているとされます。

 昨年には、大亜湾原発(広東省、香港に近い)で放射能漏れ事故が起きましたが、この時も情報は徹底的に隠蔽されました。
 ここで述べておきたいことは、仮に我が国があらゆる犠牲を払って、原発ゼロを達成したとしても、中国が猛烈な勢いで原発建設を急いでいることから、原発事故、放射能事故の危険性、可能性から逃れられないということです。
 原発を一国の国内問題として対応することはもう出来なくなっているのです。
 7月28日のBSフジテレビ番組で天野IAEA事務局長が、「日本が脱原発を選ぶか否かは日本自身が決める問題」としつつも「世界の原発はこれからも増え続けるであろう」と述べています。
特に中国をはじめとし、ASEANを含む我が国の周辺国で脱原発に向かう国はなく、いずれの国も増設へ向かいつつあります。

 今回の福島原発事故で、東電始め原発にかかわる人々は全てと言ってよいほどマスコミや世論の非難の的になりました。
 然し、今日、日本の原子力発電にかかわる技術水準は世界の先端にあることも事実です。
そして避難の最中にあっても、福島原発事故の修復に当たっている「現場力」の士気と質の高さは、IAEAを始め仏アルバ社や米キュリオン社などの高い評価を得つつありますし、困難を克服しつつあります。

 原子力発電所の建設は、金属工学、鉱学、化学、電気、エレクトロニクス、機械、工学、土木、建設、などあらゆる分野の粋を集めた総合的なものの上に成り立っています。仄聞するところ、世界の中でこれを本格的に手掛けている企業は、日本の重電3社(三菱重工、東芝、日立)と仏アルバ社の4社だそうです。
 過去の原子力発電所事故では、スリーマイル島事故は操作ミスによる冷却の停止が原因であったのに対して、チエルノブイリ事故では原子炉の核分裂が暴走し、原子炉が爆発したことでした。
今回の福島原発事故は、地震と津波に対して、核分裂の停止には成功したものの、電源が断たれたことで、冷却機能が失われ燃料棒が溶融してしまったことでした。
 今回の福島事故についての事故原因の究明は既に開始されています。世論やマスコミは「誰が悪かったのか」というスケープゴートづくりに血道をあげていますが、それよりももっと肝腎なことは、事実を徹底的に調べ、事故原因とそれへの対応を追及することであり、「原発事故ゼロ」の「安全文化」を構築していくことでしょう。

 世界中で原発が増設されて行く中で、これから必要になることは、「原発事故ゼロ」のための国際ルール作りです。
 原発先進国の日本がこの福島原発事故を徹底究明することで、こうした国際ルール作りをリードできる筈で、又そうしていかなければならないと考えます。
 それをしなければ、世界は勿論、我が国も原発事故の脅威から逃れることはできないのです。
「脱原発、原発ゼロ」を政策目標にすれば、何がおきるでしょうか。
今まで原発にかかわる分野、それに関連した広範囲な分野に従事してきた有為な人材は職をうしなうことになります。

 こうした人々は中国や韓国に新天地を求めることになるでしょう。バブル崩壊後、先端産業でのリストラでこれは既に経験ずみです。そして韓国や中国の競争力の増大となりブーメランの如くに我が国先端産業の脅威となっています。

 「脱原発」後の日本には、原発にかかわる広範囲にわたる有為な人材と蓄積した技術・ノウハウは失われるでしょう。
 そうなれば、もう原発にかかわる国際ルール作りでのリーダーシップどころではなくなります。それは、世界の原発事故の一掃を妨げるだけではなく、我が国に原発事故の脅威が存続することを意味します。そして今回"現場力"によって得られた新たな貴重な財産も失われてしまうのです。

posted by 坦々塾事務局大石朋子 at 09:27| Comment(0) | ゲストエッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月02日

「脱原発こそ国家永続の道」に思う 馬渕睦夫

西尾先生の論文「脱原発こそ国家永続の道」に思う  6月1日

         坦々塾会員   馬渕睦夫

 西尾先生のWiLL7月号の論文「脱原発こそ国家永続の道」は、同じくWiLL6月号の「原子力安全・保安院の『未必の故意』」の二つの論点、すなわち@なぜ日本は最悪の事態を想定できないのか、及びA米国技術である原子力発電を導入するに当たっての問題点、を国家的視点からより絞って論じられ、脱原発の立場を鮮明にされたものと考えます。
従って、7月号論文を理解するためには、6月号論文を読む必要があります。6月号論文については、7月号の堤・久保両氏の「蒟蒻問答」で取り上げられており、「『和』を乱す者が排除される日本の精神風土が、原子力村で異論を唱えるものを排除した結果、今日の原発事故を招いた」と西尾論文の主旨を要約し、「和」の功罪について両者の間で議論されています。この問答もあわせ読むと、西尾先生が6月号で提起された論点がより明確になると思います。

 私なりに整理しますと、6月号で指摘された二つの論点の根は結局ひとつに問題、すなわち「外来文化(技術)をどう導入するべきか」に集約され、それが7月号論文になったと理解します。6月号のポイントは、原発技術は自然を加工するという欧米思想から生まれたもので、その前提には人間の対立関係を前提とする「個人主義」から来る相互監視のシステムがある。しかし日本は性善説で「和」を優先するため、閉鎖的な相互無批判社会になり、最悪の事態を想定することができなくなる、ということでしょうが、私が特に注目したのは、以下の件です。「『個人主義』が全てにわたって優位にあるとは必ずしもいえない。ただ、自然科学はそもそも欧米からきた。そこに日本の伝統技術も加算された。原子力発電は日本で進歩が著しいといわれるものの、いざ事故が起こってみると、事故対応の役に立つロボット技術ひとつ用意されていない」(198ページ)。

 ここで「日本の伝統技術も加算された」と述べられていますが、実は加算の仕方が十分ではなかったのであり、その点が7月号論文で極めて明白に以下の通り指摘されています。
「ホンダでも、トヨタでも、一流の企業文化には必ずそういう人間力と技量と哲学を兼ね備えた技術者(馬渕註:事故事例を追及し、二度と同じ事故を許さないとする強い信念と哲学を持った技術者)たちに培われた時期というものがある。残念ながら、日本の原子力発電は、そういう歴史を持っていない。基本的にアメリカの模倣であり、加えられた日本の技術は改良技術にとどまっている」。アメリカ製原子炉の構造の改良は地震国日本に適応するには不十分で、「国鉄やトヨタやホンダのような国産の企業文化、技術文化のうえに立脚していないのがわが原子力産業の実態であり、その馬脚が露骨に現れたのが、今回の事故であったといわざるを得ないだろう」(52ページ)。

 まさに指摘の通りで、福島原発はアメリカの原発技術を導入するに当たって、日本の実情に合うように造り変え土着化させた「国産」技術でなかったが故に、事故の発生を防げなかったのみならず、事故処理をどうやっていいかわからないというドタバタの醜態を招いたということです。国産でない、土着化していない技術は、日本の国情に合っていない不安定な技術であり、社会に混乱を招く原因になることを示しています。この論理のアナロジーとして、日本の安全保障、軍事力もアメリカに頼り「国産」ではないことの危険に気づかなくてはならない、憲法を改正して「国産」の軍隊を持つべしという主張になります。そうすれば、商人国家路線も完全に終わることになるでしょう。結局、国土を汚染するから脱原発という理由もさることながら、西尾先生の本意は、日本の行うべきことは日本国家が国家たることを妨げている根本原因であるアメリカ依存(外来文化依存)からの脱却であって、それが脱原発という言葉で象徴されていると私は解釈しました。だからこそ脱原発は「国家永続の道」なのです。
        
posted by 坦々塾事務局大石朋子 at 12:54| Comment(2) | ゲストエッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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