2012年05月29日

「天皇と原爆」(西尾幹二著、新潮社)に想う 足立誠之


「天皇と原爆」(西尾幹二著、新潮社)に想う

その1:1919年パリ会議と1939年日米通商航海条約破棄

本書は著者西尾幹二氏の総合的な思想・考えを260ページに凝縮したものと私は捉えました。
以下は本書、そして著者からどんな刺激を受け、先の戦争についてどう考えるか記すものです。
著者は日米戦争を宗教戦争という視点でアプローチされました。
私は、この戦争は日米が各々のidentityを賭けた戦争であったとして捉えています。
アメリカはmanifest destinyという攻撃性を孕んだ彼らなりのidentityを以て外に向かう歴史を有し、その結果、アメリカ・インデぃアン、ハワイのポリネシア人、フィリピン人は自らが育んできたidentityを喪失しました。奴隷としてアフリカから連れてこられた黒人も同様に固有のidentityを喪失しています。
さて著者西尾幹二氏は、歴史研究の基本原則を常に述べてこられました。
西尾氏が最も重視しておられる原則は、「その時代に自らをおいて歴史を捉える」ことであり、そのことが私が西尾氏から学んだ最初のものでした。
自らを現代という高見において歴史を見下すのでは歴史は理解できません。そうしたことを理解していないことが、今日の日本の"知識人"の致命的欠陥なのです。
ニュートンを例にとります。
20世紀最大の経済学者ジョン・メイナード・ケインズはニュートンの研究者でもありニュートンの手紙・メモなど膨大な資料を丹念に研究しまとめています。没後間もなく1946年に発表された彼の論文によりますと、ニュートンが最も研究時間を割いたのは錬金術であったとのことです。ニュートンの遺髪分析でヒ素や重金属類が検出されたことでそれは裏付けられています。ニュートンが「錬金術に」没頭していたと
いうことは人々を驚かせました。
この驚きの拝啓には、人は歴史を振り返る時、現在の物差しで見てしまう性癖があるということです。ニュートンの時代に身を置けば錬金術を研究しても何ら不思議ではなかったのです。後世の自然科学の常識でニュートンを評価することこそナンセンスなのです。
尚、物質の最小単位である元素を替えることは出来ず、錬金術が不可能であることを明らかにしたのは、ニュートンの後の時代のフランスの化学者ラボアジェです。
ニュートンに対してすら人は今の物差しで判断してしまうものですが、専門の歴史家、知識人はそうであってはならない筈です。
ところが戦後の我が国の歴史家、知識人は一般人以上に、自らを今という高見に置き、 過去を見下し、今の尺度で歴史を論じており、著者はそこを鋭く問うているのです。
彼らの記した「太平洋戦争史」は典型的なニュートンを嘲笑う類です。
彼らは先の戦争に至る世界の状況の考察を欠き、揚句は今日の目で過去を見下し、先の戦争を「"無謀"で"愚かな"戦争であった」と片付けているのです。辛亥革命以後のシナ(中国)では軍閥割拠の分裂状態が1949年の共産党政権成立まで続いていたこと、シナ大陸では今日に至るまでただの一度も民主的な選挙がおこなわれたことがないこと。更につい最近まで信じ難いほど識字率が低かったことも、1980年代に至るまで義務教育制度が確立していなかったことも。そうしたことが殆ど触れられていません。
タイを除く東南アジアのすべてが欧米の植民地であったことも、欧米人の有色人への蔑視が支配的であったことも日本にたいする姿勢が今日とはまるで違っていたことも触れていません。
要すれば今の日本の知識人は先の戦争にいたる世界が今日と同じであったかの様な前提で過去を論じているのです。
ここでは先の戦争の主な相手であるアメリカがどうであったか、だけ取り上げてみます。
アメリカの抱えてきた最大の問題は、人種問題です。
アメリカ独立宣言は「すべての人間は平等に作られ、創造物主によって一定の権利を与えられている。 生命・ 自由・幸福の追求である。 これらの権利を保障する政府が組織されることが、人民の 権利である。」との趣旨が謳われていますが、「すべての人間は平等である」としながら、それが法律で担保されたのは、1964年の「公民権法」の制定以降であり、日米戦争終結後実に19年も経った後なのです。
戦前も、戦時中も、占領期間中もアメリカでは「すべての人が平等」ではなかった。
最近発売されたキャサリン・ストケット著「ヘルプ」(集英社)はアメリカでは1130万部を超えるベストセラーだそうです。
舞台は南部ミシシッピー州ジャクソン市、次代は1962年から1964年。
"ヘルプ"と呼ばれていた 黒人メイド達と南部アメリカ諸州の真実に迫るものです。
それは「生まれながらにして平等」とはかけ離れた驚くほどの差別社会です。
当時南部で有効であったジム・クロウ法(黒人差別法)条文では白人と黒人の婚姻の
禁止などは序ノ口で、白人墓地への黒人遺体埋葬の禁止などの条文が続きます。
白人専用のトイレでその旨の表示のないトイレを黒人が使ったために白人から「半殺しにあう話なども出てきます。
「ヘルプ」は日米戦争後15年以上後の話ですが、戦前は更に酷いものでした。
リンカーンの奴隷解放宣言は出されたものの南北戦争後「K.K.K.」が作られ、黒人への威嚇・暴力行為が起こり、一旦は衰えたものの20世紀になると再び勢いを盛り返します。
1925年にはK.K.K.会員は500万人を越え、南部だけでなく中西部にまで及び、会員の州知事まで出現します。さらに連邦政治にまで影響を及ぼすようになります。
後の大統領ハリー・トルーマンや後の最高裁判事ヒューマン・ブラックも会員であったほどです。
その後、会の指導者の一人が女性誘拐と破廉恥行為で当該女性を自殺に追いやった事件から、会と政界との癒着の暴露が起き、会は衰退します。然しそれが即人種差別への反省に連なるものではありません。
人種差別は黒人だけではなく、日本人にも及び、1924年、連邦議会で「排日・移民禁止法(ジョンソン・リード法)が成立し大統領も署名、これにより、連邦全体で日本からの移民が禁止されました。
当時、有色人種は生物学的に白人より劣る」という見方がアメリカではごく普通であり、この点、ナチス・ドイツを思い出させます。
20世紀の全般、先の戦争まで、アメリカではこうした有色人種への蔑視が当り前であり、有色人種の中で唯一の峡谷であった日本への警戒、敵意と憎悪が如何ほどのものであったのか。アメリカの対日政策がこうしたことと全く無関係であったなどと誰が言えるでしょう。
そんな時代の、アメリカの外交政策、軍事戦略がどうであったのかは、正に先の戦争の決定要因であった筈です。
昭和14年(1939年)7月、アメリカは日本に対して突然日米通商航海条約の破棄を一方的に通告してきました。そして日本側のあらゆる努力にも拘らず、通告期間6か月を経た、昭和15年1月に同条約は失効します。
日米通商航海条約は明治44年(1911年)に締結され、互いに最恵国待遇を与えるものであって、条約破棄は重大な問題です。
ところがこのアメリカの行動は歴史年表の同年前後を見ても理解し難いのです。
これに先立つ、第一次対戦後の1919年パリ講和会議で国際連盟の樹立が決められます。その際、日本は連盟規約に"人種平等"を謳うことを提案しました。
ところがアメリカはオーストラリアなどと共に強く反対します。最終的には日本が内容を緩和し、会議出席国の半数以上の賛成を得たのですが、議長であったアメリカのウイルソン大統領は、「全会一致でない」ことを理由に議長特権で強引に日本の提案を廃案にしてしまったのです。
昭和天皇は先の戦争については極めて慎重なご発言をなされておられますが、先の戦争の原因について、パリ講和会議での人種平等問題とされておられた、とはっきりと記憶します。
これは正鵠を得たご発言と拝察します。
第一次対戦参戦とその終結に、アメリカ大統領ウッドロー・ウイルソンは「民族自決」など14カ条の平和原則を提示し、第一次対戦とその後の国際社会のリードに乗り出します。
これは独立宣言をベースとする国際世界での規範策定をリードすることで主導権をイギリスから奪取しようとする意図を秘めていたと考えられます。
そうした意気揚々とした気持ちでパリ会議に臨んだ筈のウイルソンにとって、日本の「人種平等」の提案は一大衝撃であったでしょう。
日本の提案が受け入れられれば、人種平等を欠いた社会の現実に立つアメリカの独立宣言は国際社会で輝きを失うでしょう。
国際政治、経済では、ルールの策定とその実施で主導権を握る国が支配権を有することになります。
第二次大戦後の国際社会でアメリカは総ての分野でのルール策定の主導権を握りました。
BISによる銀行の自己資本比率規制や、TPP交渉にみられるようにルール策定の主導権を握るものが他を支配することになります。
ですから第一次大戦後のパリ講和会議でのイギリスの同盟国日本の提案「人種平等」が 受け入れられればアメリカは国際社会での規範、ルール作りでイギリスから主導権を奪うことができなくなります。更に国際ルールの主導権を有色人種国日本が握りかねないと危惧した可能性もあります。
新渡戸稲造の「武士道」も彼らの目には国際規範を主導する危険性を孕む可能性ありと映ったのかもしれません。
アメリカは既に1897年(日清戦争後、日露戦争前)には日本を仮想敵国とする戦争計画「オレンジ計画」を策定していますが、この日本の「人種平等」提案に、「日本とイギリスの同盟を終わらせ、日本を徹底的に打ち破らなければ、自らが危ない」と考えたと私は推定します。
これ以降アメリカは日本を仮想敵国から一段上の「準敵国」としたのではないでしょうか。
上に述べた昭和14年7月の日米通商航海条約の一方的破棄通告を説明できるのは、それ以外には考え難いのです。
さて戦後書かれた歴史書はGHQによる検閲と焚書を中心とする極秘裏の言論弾圧・統制により支配されました。詳細はいずれ記しますが、この影響は今日に及んでいます。
占領以降に我々が受けた情報や教育には、「アメリカは自由と平等そして人権が守られている国であり、その対極が敗戦にいたるまでの日本であった」というものでした。
そこには、K.K.K.についての話もジム・クロウ法についても存在せず、パリ講和会議で我国代表が国際連盟規約に「人種平等」を入れる提案をおこなったことも、アメリカ大統領が強引に日本の提案を廃案にしたことについても完全に封殺されました。
そうした戦後の歴史教育が繰り返し刷り込まれてきたのが今日の日本です。
そして今日においてさえ、所謂昭和史家などの歴史家が書く太平洋戦争史にはパリ講和会議における日本の人種平等案とアメリカの反対についても、昭和14年7月のアメリカによる日米通商航海条約の一方的破棄通告の重大性についても殆どふれていません。
これは万有引力の法則発見を欠いたニュートンの評価に等しいものではないでしょうか。

(平成24年5月足立)



posted by 坦々塾事務局大石朋子 at 20:05| Comment(0) | 読書感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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