2012年05月03日

『日米開戦の悲劇』濱田 實


『日米開戦の悲劇』

・・ジョセフ・グルーと軍国日本・・(福井雄三著・PHP研究所・1600円)を読んで  240503

日米開戦の悲劇 福井雄三.jpg


     坦々塾会員 濱田 實

ご縁があって名著と巡りあった(私が選ぶ今年のベストワン)。この本は史実をもとにまとめた実に客観的な内容である。日米戦争の本はゴマンとあるが、それらをうまく総括してくれた本というべきだろう。帯に“渡部昇一氏 絶賛!!”とあるが、読んでみて、それは渡部氏の本心であることを私なりに深く確信した。自信をもって必読の書としてお勧めできる。

グルーは1932〜42年まで駐日大使を務めたアメリカ人。この期間は5.11事件から日本の国際連盟脱退、2.26事件、シナ事変、そして対米戦争突入というまさに怒涛の歴史でもあった。日米戦争は共に死活をかけて戦った戦争である。
結論からいえば、彼には、当初、白人ゆえのアジア人に対する偏見もあったと思うが、実は実直な性格で、理性と礼儀と節度を重んじる外交官であったことが、日本にとってまことに幸いであった。終戦時には原爆投下という不幸もあったが、何とかそれを防ごうと裏で努力したのもグルーであった。ところが、今もってそのことを多くの日本人は知らない。

彼の夫人も、グルーに共通して自身の身体的障害をもっていた。故に夫妻は共に似通った精神体質、価値観を持つ一個の律儀な人間であった。そして10年に渡る日本での生活を通して、共に親日的なアメリカ人となり、陰ながら日米友好に貢献した。

彼の孤軍奮闘の内容は本をお読みいただくとして、自分なりに頭の整理も含めてポイントを紹介する。
@ 戦略的、戦術的な大失敗を誘導したのは、海軍であり、殊に山本五十六の責任は極刑以上に値する。海軍の情報隠し、正直でない体質が、戦争突入を早め、かつ終戦のタイミングを遅らせ、ついには原爆投下を導いたともいえる。
戦争はやむを得ず突入することも多々あるが、基本的には「負ける戦争はしてはならない」 本書は様々な戦闘事例を示しているが、度重なる海軍の虚言報道が、戦争末期における陸軍の作戦をも大きく狂わせたとある。レイテ島における、栗田艦隊に見捨てられた日本軍(陸軍)兵士の全員餓死も悲惨である。ルソン島守備隊も為す術もなく、全滅した。
「・・・上官のもとに、どれだけ多くの有能で立派な海軍軍人たちが犬死にをしていったことか、その無念さは想像にあまりある。無念の死を遂げた多くの帝国海軍軍人たちよ、安らかに眠れ。海の勇士たちに栄えあれ」(福井雄三)  
*山本五十六評価は福井氏にお任せするとして、昭和17年前後、山本元帥から橋本徹馬氏あての書簡があるので、紹介する。山本元帥と橋本氏との関係や、橋本氏とのグルー大使との交渉史についても、今後資料を確認し次第、紹介したい(浜田)。
「久々にて貴信拝受 其後は暫く郷里に御隠棲中なりしとか 気違相手では怪我損とでも可申か御同情に不堪候 小生海上四年全く世間と没交渉にて専ら潮の辛さを味来候へば国際関係等も如何のものかや不存候へ共 最早中立国等にかかりあい居りても間にあわざるべく斃すか斃るるかの外無之と覚悟を決めてかかるべきの秋と存じ 小生は敢て敵国恐れざるも味方方面には時々畏入らされ居候始末にて真に憂慮に不堪と感居候 折角御自愛上候 敬具 十七年十一月末   山本五十六
橋本徹馬殿」
このとき、橋本氏は戦争を防ぐべく日米交渉に努めていたのだ(グルー大使とも接触)が、憲兵隊に拘引留置されていた。山本元帥の書簡は遠まわしに、軍部主戦派の強引なやり口を婉曲表現であるが憂慮されていることが分かる。
A グルーは10年の任期を終え、帰米後、国務省極東局長に就任、その後著書『滞日十年』
が出版された。この本と、彼の二年余りにわたる東奔西走による全米での遊説活動は、アメリカ人の乏しい対日知識に基づく我が国への誤解を解くうえで大きな貢献をした。
B 日本と死闘を繰り返したアメリカ人は、日本軍の勇敢果敢な戦いぶりを、心底畏敬の念をもって感じ始めていた。
C 1944年12月、病気がちのハルは国務長官の座を退き、次官のステティニアスが長官となり、グルーは国務次官となった。先の出版と遊説活動に続く、終戦処理に向けた8ヵ月にわたる、彼にとって第二の総決算、大活躍が始まった。
D ルーズベルトは大統領選挙で、史上、前代未聞の四選を果たし、四期目の任務に就いたところであったが、彼は日本を心底から軽蔑していた。彼の人種差別は最たるものだったが、日本民族をしてこう言い放った。「日本人は頭蓋骨の形状が欧米人と異なる劣等民族であり、彼等が世界を征服するなどという暴挙を企てるのは、このような劣等遺伝子のなさしめるわざである」・・と。彼のこういう偏見は、彼の先祖が奴隷商人であったこともあり、偏見と差別意識が骨の髄まで染み込んでいた。
E ルーズベルトの跡を引き継いだトルーマンは、政治家としてズブの素人であった。権謀術数においては、ルーズベルトの巨大さにはるかに劣っていた。それは、ルーズベルトの強硬路線から宥和路線に変わる可能性も芽生えてきたことをも表していた。
F グルーは、国務省の中で、これは大きなチャンスともみていた。トルーマンによる対日講和条件に天皇制存続をほのめかす文言を織り込むよう、トルーマンを説得した。陸軍長官スチムソンもこれに同意した。スチムソンは知日派であり、戦前の日本をこよなく愛していた。アメリカ空軍による京都爆撃計画に体を張って阻止したのも、スチムソンであった。だがこの計画も、マーシャル参謀総長が「まだ時期尚早」として反対したため、グルーの企ては失敗に終わった。
G このとき、アメリカ軍部は、原爆実験が成功し次第、間髪を入れずに、日本に投下すべくひそかに決意していた。アメリカは、この恐ろしい誘惑に勝てなかった。日本に投下しないと永久に原爆投下のチャンスは失われてしまうと考えていた。悪魔のささやきはトルーマンも周辺をも魅了する力があった。
H グルーの最後に残されたチャンスは、ポツダム宣言に賭けることであった。この宣言に天皇制存続を暗示する文言を入れることさえできれば、日本は面子を失うことなく降伏することができると考えた。間一髪のところで、ソ連参戦と原爆投下を阻止することができるだろうとも考えた。スチムソンもグルーの考えを支持し、トルーマンにその宣言草案を提出した。
I 残念なことは、ここでどんでん返しが起こったことである。
7月3日、親シナ派ノバーンズが新しく国務長官に就任した。これで一気に流れが変わり、国務省内では対日強硬派が頭をもたげ、グルーの最後の努力もここに潰える結果となった(こういう、どんでん返しも、歴史は“宿命”を抜きにして考えられないと言われる所以である)。
J 7月3日、米・英・支三国の名で対日降伏勧告、ポツダム宣言が発せられた。宣言にはグルーが目論んだ天皇制存続を仄めかす文言は削除されていた。文言を削除したのは、原爆を日本に投下するためにアメリカが仕組んだ「罠」だった。鈴木貫太郎首相の「ポツダム宣言を“黙殺”する」という公式声明中の“黙殺”は、英語の“拒否”と翻訳され、原爆投下の口実に使われてしまった。日本はアメリカ側の「罠」にまんまと嵌ってしまった(too late が如何なる結果をもたらすかの教訓がここにもある)。
K その後、長崎にも原爆が投下された。ここにきて日本政府は8月10日の御前会議でポツダム宣言受諾が決定した。日本はこの段階においても回答のなかで、ひとつの条件として「天皇の国家統治の大権を変更しない、という了解のもとにポツダム宣言を受諾する」というものだった。
L この段階においても天皇制存続にこだわった日本。これが日本にとって妥協できるギリギリの最後の一線であった。もしこれが拒否されれば、民族が滅亡するのを覚悟のうえで本土決戦を行うしかなかった。日本政府にとっても、実につらい回答であったことを、
我々はよく認識する必要がある(皇室に関わる問題を安直に語れない背景がここに在るのではないか。ときに皇室に対する慎重意見が出るのも、奈辺に在るものと思う)。

<ここで、閑話休題>
民主的と伝統との鬩ぎ合いであるが、この議論はあくまで根本的な「國体論」の中でこそ語られるものと思う。岡田さんの「天皇はじめ皇族の方々に、最高の人格を求めることは間違いであると思っております。更に皇室は、所謂“開かれ”てはならないものとも思って おります。天皇はじめ皇族方の地位と人格が一致するにこしたことはありませんが、それ以前に『人間である』ということを考えねばならないと思い、傅育官や 教育掛(東宮御教育常時参与)、宮内庁長官、侍従職等々にそれ相当の『人物』が配置され、お仕えしているかどうかがカギとなると思います」はその通りであり、“それゆえ”慎重を期すべきものともいえます。なぜならば、その時代、時代で必ずしも、それ相当の人物が選ばれるかという保証もないし、また時代の雰囲気、時代相当の不出来の人物が選ばれることもあるからです(今の時代を見ればお分かりでしょう)。
昭和天皇における御裁断の御苦しみも、まさにこの鬩ぎ合いのなかにありました。先日、大東亜戦争に関するある勉強会で、隣席の方が「戦前という時代、当時の平和は“戦争の合間の”平和だった。しかし戦後は平和のなかの戦争だ。平和も戦争も、戦前と戦後を同列に論じることはできない」と発言されていたが、昭和天皇はそういう時代の環境に置かれていたことを、我々はかたときも忘れてはならない。戦後我々の安直発言はすべて戦後言語空間のなかでの安全圏での発言であることに思いを致さねばならない。
M スチムソンは、この機に及んでも、なお天皇制の要求を貫き通している日本の姿に、心底感動していた。彼はそこに武士道の究極の姿を見たのである。ここまで覚悟をしている日本に対して、これ以上の殺戮を行う必要がどこにあるか・・・と。だが対日強硬派のバーンズ国務長官は、それを否定するかのような発言をしたが、トルーマンはフォレスタル海軍長官の次の意見に同意したという。・・・「天皇性護持という日本の最後の要求を受入れる含みで、しかもポツダム宣言の内容が確実に達成されるような降伏条件を、日本に示すべきだ」
アメリカの最終回答はこういうものであった。
「戦後の日本国の政治形態は、日本国民の自由に表明された意思によって決定されるべきものとする」
天皇制存続に関し、明確な保証はしないが、けっして否定するものではない。ブラフを散らつかせつつ、アメリカの面子も考えての曖昧な表現ではあったが、天皇制存続の暗黙の了解であった。これがもし、アメリカ側の一方的な強硬意見で天皇制存続を拒否するものであったなら、果たしてその後の歴史はどう展開したであろうか? 日本は消滅していたのではなかったか。
 終戦交渉は、まさに綱渡りの交渉であった。それが何とかアメリカをして、思い止まらせたものは、硫黄島の、あるいは沖縄戦における日本軍の、最後の奮戦が敵の心胆を寒からしめ、それがアメリカ側から譲歩を引き寄せたからである。
戦争とは、愚かさと賢さ、誠・・などが相交錯するなかで戦われる戦闘である。その勇気や美談には称えられるものも多々あるが、だからといって、戦争は厖大な悲惨、犠牲を考えたとき、決して手放しで称えるものでもない。しかし、防衛戦争は在るか、問えば、確かに在るということは言える。

グルーは戦後、連日の過労がたたり、端正なマスクの面影も消え、外交からも身を引いて読書三昧の日々を送った。愛した日本の土を二度と踏むことはなかった。彼はベストセラーとなった自著『滞日十年』の印税をすべて国際基督教大学の設立資金として寄付している。
1959年、妻アリスが亡くなった。心やさしき彼女は、広島原爆投下の報を聞くや、シックで失神し、数日間 寝込んだという。
N この二人が、最後の最後、日本の消滅を救ったともいえる。彼等の共通項は冒頭にも触れたが、人間としての謙虚さであり、誠の精神であった。これを小さなことと言うなかれ。天職の意識をもって生きる人間の行動は、大事な局面で、生きるということである。政治の舞台ともなれば、悪魔のささやきでさえも覆すこともできる。それが100%といわないまでも、大きな影響を与えることができるのである。
O 20世紀という時代は、戦争の常態化という修羅場であり、白人至上主義や人種差別が横行する百鬼夜行の時代でもあった。その時代にあって、まさに粉骨砕身働き、努力する愚直な人間が居て、究極の破壊から免れるということが現実に在った。それは利害得失を超えた行為であった。アメリカには、ルーズベルトという恐ろしい悪玉も居たが、グルーのように高潔な人物、あるいは東京軍事裁判で見事な日本擁護の弁論をしたローガン弁護人、ファーネス弁護人のように、敵国日本を裁く軍事法廷においても、法の公正を堂々と訴えることのできる第一級の人物が居たのもアメリカという国家であった。
アメリカという国は、昔も今も一色で見ることは危険であるが、日本人は、そう見る人が今でもけっこう多い。
P もちろん偉い人物は日本にも多々居るが、こういう偉大な人物をどうやって世に輩出させるかが、今この日本で、まさに問われているのではないだろうか。
仄聞する教科書の著作権侵害問題で、不正行為に対して無視を決め込むような、あるいはその事実を知りながら支援の姿勢を崩さない関係者には、こういう高潔な人物を育成できる資格も能力もないものと考える次第です。
Q これほど戦争は悲惨であったが、それでも、今日の価値観で過去の歴史を裁いてはならない。あくまでも過去に生きた人々の視点に立ち、その状況にわが身をおいてその時代を洞察しなければならない。我が国の、日米戦争をきちんと総括をしてこなかったツケが、いまいろいろなかたちで現れて、オタオタしている。・・・これが福井氏の訴えたいポイントでもある。

<最後に>
  過般の戦争は、愚かではあったが、敵味方とも、ここから大きな教訓を学び取らねばならない。世の中には因果応報というものもある。如何に真因を誤魔化したとしても、いつしか、何らかのかたちで清算や、歴史の復讐が行われる。それが世の中というものだ。考えてみれば、歴史を学ぶということは、人間の愚かな行動を客観的に分析、吟味し、右に左にと揺れるなか(闘争、戦争の繰り返し)で、とつおいつ、本来のすがたに向かう人類の足跡を明確にしようとする営みではないだろうか。

また繰り返すが、皇室関連の発言は、こういう歴史の綱渡り的背景とその重みを十分踏まえて行うべきものと思う。自信がないときは、それこそ“いい意味での沈黙”を保つべきと考える。

福井雄三氏の本著はこの意味で、日米戦争におけるひとつの総括版(のひとつ)である。皆様にも御一読をお勧めします。皆さまなりに総括してください。

橋本徹馬氏の日米交渉秘話も、シリーズで発信します。いまその本が神隠しにあっています。
以上
posted by 坦々塾事務局大石朋子 at 20:09| Comment(0) | 読書感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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