2011年11月09日

西尾幹二全集 第五巻 感想文


西尾幹二全集 第五巻 感想文

<光と断崖 最晩年のニーチェ>
    

         坦々塾会員 浅野 正美


 西尾先生の個人全集がついに刊行されました。私も宮崎先生と同じように、しばらくはただ眺めていました。10月21日に届いてから10日間、毎日背表紙を眺め続けて気持ちを集中していきました。時間をかけてゆっくり読もう、ドイツ語論文以外はすべて読もう、と決意して11月に変わった日から読み始めました。1頁の文字数が原稿用紙3枚になる大判にして600頁近い大冊です。果たしてどれだけの時間がかかるのか、計算すると14時間と出ました。毎日2時間で一週間と予定を立てて読み始めてから一時間後、進んだ頁数はやっと30でした。

 決して急がず、時には前に戻りながら目の前にある文章の理解に努める、という読み方で毎日朝夕1時間をこの本のためだけに費やすこと8日、やっと読了することができました。不思議なことに、この間他の文章を読むという気分にならず、新聞や週刊誌を始め、本業に関する報告書や業界紙にもほとんど目を通すことがありませんでした。一切の夾雑物を廃して挑まねば、この高峰には登れないという意識が働いたのではないかと思っています。読み進んでいるときに感じたのは、若い頃に多少遊んだ北アルプスの雪山登山の経験と似通っているということでした。雪山であれば、夏道と呼ばれる曲がりくねった登山道も雪に埋もれているため、一直線に頂を目指すことができます。その分勾配は急になり、呼吸も荒くなります。確実にいえることは、一歩一歩の歩みは苦しくとも、確実に頂上に近づいているという事実です。ただしこれだけでは頁を繰ることの集積で登頂が果たせるということになってしまいます。

 若い頃の私にとって、西尾先生は里から仰ぎ見る霊峰のごとき存在でした。ただし「光と断崖 最晩年のニーチェ」を読み終えた今、その山に登頂したという気持ちはまったくありません。里からアプローチにたどりついてみたら、里からながめているたおやかな峰が、峨々たる岩肌も露わな、かくも巨大な岩稜であると知り途方に暮れてしまった、といった表現が正直なところです。思想の核心に一歩でも近づくことができなかったならば、それはただ単に本を読んだという事実があるに過ぎません。


 この巻にも収録されている西尾先生訳の「この人を見よ」は、過去に新潮文庫で二度、筑摩文庫のニーチェ全集で一度読んだことがあり、今回で4回目の挑戦になりました。私にはニーチェに強く惹かれたという経験はなく、それでも筑摩の文庫全集は全部読みましたが、時々はっとする短い箴言に共感することはあっても、全体を通した理解には遠く及びませんでした。正直に言えば、日本語で読んでいて、こんなにもわからない本はない、というのが私の偽りのない実感でした。

 西尾先生が何度か強調されているように、「言葉と学問」を糸口に、改めて主要作品を読み返してみようと思っています。ニーチェに対しては、猛毒を帯びた危険な存在、悪書、というイメージが一般にはあるのではないかと思います。神を殺した野蛮人であり、ナチズムの思想的バックボーンとなった誤った思想家、あるいは最後には狂人と化した怪物。ナチズム云々に関しては本書で、トーマスマンの誤解が後年通説化して一般に広まってしまったという歴史的な事実を知ることができました。

 ニーチェの思想を勝手に解釈して自己の政治的正当性の根拠にしようという試みや、ナチズムが胚胎する元になった、ドイツ民族優越論は、ニーチェにその萌芽を見ることができるといった曲解はニーチェには何の責任もないことであり、意味合いは違うのかもしれませんが、日本が軍国化した基層には神話と神道、そして天皇制にその原因があるという、戦後抜きがたく定着してしまった我が国の不幸に通じるものを感じました。


 ニーチェに惹かれるレベルまで理解の及ばない私が、仮にも文庫全集を読もうと思ったのは、この人が後生に与えたあまりに大きな影響が導火線になっています。引き合うにせよ反発するにせよ、多くの人がこの巨人の磁力に巻き込まれて多くの言葉を残しています。R・シュトラウスは、冒頭のメロディーだけならだれもが知っている交響詩「ツアラトストラ」を作曲し、現在でもオーケストラの演奏会では主要な演奏レパートリーとして盛んに取り上げられています。

 ワーグナーとニーチェとの関係は、当初の賞賛から一方的な決裂という破局まで180度の転換を見せますが、この極端な変化の原因を私は何度か人に尋ねたことがありました。大方の答えは「似たもの通しだから」、「磁石の同極が反発し合うようなもの」というありきたりの答えで、充分納得できるものではありませんでした。西尾先生はこの両者の関係を、ニーチェの文体とワーグナーの音楽の構造に見られる類似性から説き起こし、凡百の解説とは雲泥の差をもって明快に説いておられます。

 残念ながら私には、ワーグナーの聖地バイロイト劇場で彼の作品を鑑賞したという経験がありませんが、本書には若い日の西尾先生がそこに一週間滞在し、ワーグナーが理想的な上演を目指して建てさせた独特な構造を持つ劇場で音楽を体験した日のことが書かれています。多分「リング四部作」を始めとして、代表的なオペラの内のいくつかを聴かれたのではないかと思います。きっとそこでは東京の一般的な劇場やレコードでは味わうことのできない音楽が鳴り響いていたことと思います。この箇所を読みながら、最後までワーグナーに耽溺し国庫を空っぽにしてまで理想の城を造り続けたバイエルンの国王、ルートヴッヒ二世のことを思い浮かべていました。ヴィスコンティの耽美的な映画を観た方も多いのではないかと思います。彼は晩年にいたって幽閉され、癈人同様となり、発狂するか絶望して入水自殺したといわれています。

 ルートヴッヒ2世が建てた城の中でももっとも有名なノイシュバンシュタイン城(別名白鳥城)には、新婚旅行で一度だけ行きました。観光客が見ることができるのは宏大な建物の内のごく一部に限られますが、若き国王がこの城にワーグナーの作品世界を贅沢に再現したその情念には、ただただ圧倒されるばかりでした。

 フュッセンという南ドイツの田舎町にこの城はあり、城の建つ丘の上からは市街を一望に見渡すことができます。緑の中に建物が点在するのどかな田園風景に暮らす人の多くが、狂王の遺産である観光資源によって幾ばくかの糧を得ているのは間違いのないことだと思います。黄葉の森に囲まれた城と下界の街を見ながら、「ルートヴッヒさん、100年かけてあなたは充分に元を取りましたね。」と心の中でつぶやいていました。


 西尾先生には何としても200歳か300歳まで仕事をしていただいて、個人全訳ニーチェ全集を出版していただきたい、という妄想とも夢想ともつかない願望をこの一巻を読んで痛切に感じました。まずは未だ未読の西尾先生の訳になる「アンチクリスト キリスト教呪詛」を必ず読もうと思います。
今ニーチェを読み返せば、今までよりは多少理解できることがあるのではないか、というのは根拠のない錯覚かもしれませんが。


 私は西尾先生を巨大な山に例え、いくら読んでも登頂することが叶わない永遠の未踏峰であると感じました。山男は登頂することを征服するともいいますから、当然のことですがそんなことができるはずがありません。先生は今年の夏、駆け足で上高地と飛騨高山の旅をされたと書かれていました。上高地では、梓川の向こうに穂高連峰が連なって見えますが、先生が行かれたときにはその姿を目にすることができたのでしょうか。私も上高地には、山登りをしていた頃に何度も通い、ここで半年間働いていたこともあります。麓の安曇野からも見える北アルプスの山々は、上高地まで来るとぐっと近く、大きく、迫力を増して見えますが、この山の本当の大きさと厳しさは、上高地からさらに20q以上歩いた先でないと実感することはできません。樹林帯を進むとき、山は一端視界から消え、森林限界を超えて空が広くなった時に初めてその全容や岩の荒々しさが目の前に飛び込んできます。

 全集22巻を通読したときに、果たして私の視線はどの位置から西尾幹二という巨峰を仰ぎ見ているのかというのは、今の私にとって楽しみでもあり恐怖でもあります。願わくばアルピニストのベースキャンプでもある個沢(からさわ、標高2500メートル地点にあり穂高連峰へはここから本格的な山登りが始まる)まで到達していたいと思いますが、ひょっとしたらそのときもまだ安曇野の田園風景の遠くに連なる山を仰いでいるかもしれません。象徴的なことですが、安曇野から見える山々は前山といって、穂高の主砲群ではありません。この前山は燕岳、常念岳、蝶ヶ岳、霞沢岳、六百山と連なっていますが、上高地から上流を見たときには右手、川の左岸に連なる山々で、右岸に連なる槍ヶ岳から焼岳にいたる山脈とは遠く隔たっています。里からはこの前山が衝立の役割をはたしてしまい、槍、穂高の峰々の目隠しになっているのです。前山を見て、「穂高を見た!」と叫ぶことだけはしたくないと思います。

浅野正美
posted by 坦々塾事務局大石朋子 at 19:03| Comment(0) | 読書感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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