2011年06月25日

第21回坦々塾 浅野正美



  第21回 坦々塾 平成23年6月4日(土)

     
  「脱原発こそ国家永遠の道」

     講師 西尾幹二先生


       坦々塾会員 浅野 正美

 原発の問題は日本の国家の問題である。我が国は佐藤栄作首相時代を基点として、改憲の旗を降ろし、非核三原則を宣言し、NPTを批准することによって、ふやけた、クラゲのような国家になってしまった。これこそ第二の敗戦である。NPTとは、敗戦国である日本とドイツが核武装しないための、戦勝国による計画的な政策であった。ただし、西ドイツのシュミット首相はアメリカのSS20を借りて、核の発射の自由権を持っていた。そうしたことが88年から89年にいたるソ連の崩壊に繋がった。日本にもそうした選択肢があったにも関わらず、今もってそうした意識を持たない。NPTを批准するということは、永遠に核兵器を放棄するということであり、批准を逡巡した長い時間には、そうしたことへの不安を当時の政府が持っていたことを表している。

 少なくともそれまでの政治家には曲がりなりにも国家感があったが、これ以降は自民党が国を売ってしまった。経済発展を代替ナショナリズムとし、1965年から今日まで、ここにいるすべての人が最重要活動期として過ごしてきた時間を、国家として何でも金で解決してきた。竹下登首相は外国のためになるODA、そのことによる代償を求めてはいけないという哲学を持っていたが、こうした外交戦略なきばらまきに対して、世界は全然日本を相手にしなかった。

 国家とは、政治、経済、外交、軍事という四つの車輪がバランスよく回転して運営されるべきにも関わらず、我が国は経済だけが肥大したため、アメリカが台車に載せて運んでくれなければ前に進むこともできなくなってしまった。国家としての自主権を失ったままである。大東戦争は自分で判断し、自分で始め自分でおわらせたが、今の日本には自分というものがまったくない。

 メア元日本部長失言の本質は沖縄問題にはない。メア発言の真意とは、日本は改憲などする必要はない。改憲をし、真の独立国家となれば今ほどアメリカを必要としなくなる。そうした事態はアメリカにとっても困ることであり、アメリカの真意は日本が隷属された状態を永遠の目的としているからである。こうして日本の文化は衰滅せられ、すでにおかしなことになってしまった。

 日本が原子力を導入したときの総理大臣中曽根康弘は、核武装を意識して原発を導入したのかという質問に対して、純粋に平和利用のみ考えていたと最近答えている。我が国は原子力の平和利用という名の策術に引っかかってきた。平和だけで原子力をコントロールできると思った。実は、非軍事による原子力利用にこそ限界があった。

 我が国はアメリカもフランスもやらない道を真っ直ぐに走ってしまった。実は福島の事故以上の問題を我が国は抱えている。敦賀の「もんじゅ」には運転も廃炉もできないまま、発電量0でありながら、年間500億円という巨費を今後50年以上にわたって支出し続けなければならない。接合部分の留め金が落下して燃料棒の交換もできず、ナトリウム爆発、炉心の露出による原子炉の暴走といった危険が常にある。この高速増殖炉は活断層の真上にあり、万が一の事故が発生した場合には、半径300q、場合によっては日本全国が汚染される危険がある。少なくとも関西全域が汚染される危険性は非常に高い。プルトニウムの自己増殖はアメリカもフランスも決して手を付けなかった。核技術大国、核武装国家であるからこそ、核の力の本当の恐ろしさを知っていたからである。核の恐ろしさを知らないのが日本であり、平和利用という脳天気な発想もそうしたことが原因としてある。


 六ヶ所村の再処理工場も事故で停止しており、陸奧の中間貯蔵施設も未完成である。六ヶ所村では札束が乱舞しており、村民の平均年収も極めて高い。福島も浜岡も使用済み燃料は現地で保管しているが、何かあれば六ヶ所村も同じリスクを抱えている。このように、核燃料の処理コストは莫大でありながら、最後に残った核のごみに関しても世界のどこも解決できないでいる。300メートルの地下に密封して埋めるという方法が模索されているが、引き受ける自治体はない。

 東電よりも一番悪いのは政治である。もっとも腹立たしいのは、内閣府の原子力安全委員会、経産省の原子力安全保安員である。前安全委員長は「万全の対策を取ることはできない。そんなことをしたら経費がかかってたまらない。」と発言した。これは東電の論理であって安全委員会は立場が違うはずである。要するにみんな「グル」である。最終処分に関して斑目氏は、「お金ですよ、アハハハハ。二倍にするんですよ。それでも駄目なら五倍にする。札束積まれていやだという人は誰もいない。」と宣った。彼の海水注入中止問題における釈明も、素人が普通に聞いて、常識的に判断すれば、何らかの危険があると受け取られて当然の内容であった。現場の吉田所長による英断によって最悪の事態は避けたれたが、兵は立派で隊長が駄目だという我が国の弊害をあぶり出した。下がちゃんとすることで、かろうじてこの国は保っている。さらに、金で買収されたマスコミ、政治家によるバイアスも我が国の原子力行政をゆがめた。

 今回の事故は原子力村の幹部が主犯である。東電の現場は頑張っている。一蓮托生の原子力村、この村の構造が事態を悪くしている。原発は減価償却後の40年を過ぎると非常に収益性が高くなる。保安院、安全委員会は東電とグルになって金儲けに狂奔した。今後も原発を増設し、電力シェア50%を目指した。オール電化はそうした流れにのった営業戦略であった。

 ロボット大国の我が国が、今回の非常時においてアメリカの軍事用ロボットに頼った。日本に耐放射線ロボットはある。東海村事故を契機に30億で作られたが、電力会社は原発事故は起きないという前提に立っているため買わなかった。また、最悪を考えることは不安を煽ることだという理屈をいった。要するにビジネスとして成り立たないものは駄目だということである。ここには技術はあっても精神がない。世界一のロボット大国にしてこの体たらくである。原子力事故ロボットの予算は小泉構造改革によってカットされた。ソーラーパネルも然り。当時シャープの技術は世界一であった。第二の敗戦ここにきて極まった感がある。

 原発事故は戦場である。我が国は戦場を想定していない自衛隊と、事故を想定していない原子力運用をしてきた。今回の事故によって同胞は生存を脅かす不安に包まれている。フランツ・カフカの「城」に通じる不安である。福島では自主的非難する住民もいるが、早い段階から学童集団疎開を提唱して来た。


保守の一部に見られる精神主義的益荒男(ますらお)振りに付いて一言いいたい。反権力、反政府、秩序破壊といった左翼イデオロギーの否定が保守であると考えられている。果てしのない体制破壊の後には何も残らない。こうした民主主義の限界に対する嫌悪、反・反権力が保守だと思っている人は多い。確かに学生風論議や、戦後のマルクス主義が背景にあった政治活動に対してはそうしたことがいえる。ただし、こうした人達に共通していえるのは、保守思想原理主義だということである。

 保守思想の根底には、権力否定に対する反感がある。ただし、それも時によりきりである。大きなものは間違いなくグロテスクになる。東電、自民党、ブッシュ政権、中ソの共産党、どれもグロテスクである。それに対する否定や嫌悪は自然感性、市民感情であって、これは左翼ではない。国家とはとかくグロテスクである。行き過ぎたときには市民としての常識を働かすことが必要である。今後も今回の事故とは違った危機はあると思われる。個人に求められるのはバランス感覚である。

                       文責 浅野 正美
posted by 坦々塾事務局大石朋子 at 17:20| Comment(0) | 坦々塾報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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