2011年01月12日

石原隆夫さんへのコメント池田俊二

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  石原隆夫さんへのコメント

   坦々塾会員 池田 俊二


 石原隆夫さんの新年會感想を拜讀しました。實は、會當日、塾長が一つの文を讀上げられてゐる時から、私は再起不能ともいふべき衝撃を受けてゐました。

 それが福田恆存の文章で、福田が「變節」?
 今の私にはことばがありません。

 先生との電話で「小林秀雄だつて、福田恆存だつて、全部戰後の觀點からものを言つてゐるだけぢやないか」とおつしやられて、「それはさうですね」とお答へしたことは何度かありましたが。

 とにかく、私が福田恆存から受けた影響の強さ(ここで、歴史的假名遣、正字を使つてゐるのも、その一つ)は測りしれず、その「變節」については、一生をかけて考へてゆきたいと思ひます。

 福田の「疎開荷物」(昭和20年4月)といふ文章を讀んでみろ、あのワッショイ、ワッシヨイ(これは戰爭のこと。戰後、別種の、ワッショイ、ワッショイが起つたことは御承知のとほり)、「異常を口實として、ささやかな日常心を否定する氣負つたとげとげしい態度」を批判して、靜かな思索を促してゐるではないか、それは、戰爭中であらうと、戰爭に勝たうが負けようが、人間としての根本だなどと人に申して參りましたが、「變節」
とまで、評されると・・・。

死ぬまで惱まねばならないことでせう。
posted by 坦々塾事務局大石朋子 at 20:10| 東京 ☀| Comment(3) | 寄せられたコメントより | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント

石原さん、池田さんの文を読んで一言。

 福田恒存の「変節」とは、少し言いすぎではありませんか? 西尾先生は、そのような言葉を使っていますか? 小生、耳がよろしくないので聞き落としているのでしょうか。

 福田恒存も、「よく分からなかった」、或いは、「見失った」のだと思います。その辺がよく分かっていた人は、ほとんど追放されてしまった。今日、西尾先生の先導によって、福田恒存の「分からなかったこと」「見失っていたこと」を理解しうる地点に到達している(或いは、到達しつつある)、というように、小生解釈しているのですが。

Posted by 等々力 孝一 at 2011年01月14日 19:39

等々力さんへ

コメントありがたうございます。
仰せのとほり、西尾先生のお話に「變節」といふ言葉があつたかどうか、私にもかなり疑問です。お説のやうに、「地點に到達してゐる」と考へると、私には樂です。さうありたいと思ひます。

ただ、ここでは詳説する餘裕はありませんが、西尾先生の、福田恆存からの「離反」は、(假に、一時的なものであるにせよ)、以前から私にとつて大きな問題で、先生と二人だけで、この問題を話合つたことも何度かあります。ほとんどは、私の方が説伏されましたが、100%然りとは言へません。こちらに釋然としないものが少々殘りました。それらを、生きてゐるうちに考へたいと思ひます。あまり思ひつめずに・・・。

等々力さん、おかげさまで、少し氣が樂になりました。ありがたうございます。



Posted by 池田 俊二 at 2011年01月15日 10:39
「福田恒存の変節」についての考察     
 はじめに断っておきますが、私は福田恒存を研究したこともなければ熱烈な支持者でもありません。先にも述べたように、戦後利得者の跋扈する中で保守の陣営で孤高の文学者であり、テレビなどでも保守として討論の司会をしていた事から、私にとっては貴重な保守の論者として尊敬をしていたという事です。

塾長が「変節」と言われたわけではなく、言ってみれば、信じ切っていた人に裏切られた思いから私がその様に感じたと言う事ですので誤解無きよう願います。

先にも述べたように「文学と戦争責任」論で福田は、軍国主義が文学者の言論の自由を奪った、軍国主義を取り入れなかったら生きて行けなかったと、文学者一般の擁護をしているのですが、文章の前段で文学者の「戦争犯罪」、「戦争責任」が問われている事に言及しています。ですからこの文章は当時の左翼からの暴力的とも言えるレッドパージならぬ保守パージに抗すべく、責任を軍国主義に負わせたのだろうと思います。

ただ、擁護論の後半では『もちろんぼくも暗黒の時期に英雄の存在していたことを知らぬわけではない。しかし英雄の倫理を一般国民に期待することは不可能であり、のみならずぼくはあのような国家権力をまえにして無益な抗争を続けることに、かならずしも英雄の資格と批判精神の誠実とを認めようとはおもわぬ』とも言っています。塾長のお話にもあったように、戦中の「軍国主義」や戦後のGHQの圧力や左翼に抵抗して志操を全うした人も居たわけですから、福田が態々それら「英雄」を否定するのは全く納得いきません。これもある意味、福田のシニカルなところが出たのかも知れません。

以前、林房雄の「大東亜戦争肯定論」を読んだ時、福田恒存は、『戦争は国家的エゴイズムであり「悪」であるが背に腹は替えられない「必要悪」でもある』と述べていたと記憶しています。これなら、少々シニカルな表現ですが誰もが納得するコメントです。

余談ですが、小林秀雄は『大東亜戦争を反省したい奴は反省したらいい、俺はしない。
それは歴史的必然であるから』と言っています。この言葉は福田のニュアンスとは一寸違いますが、私は福田も同じスタンスだったと思い込んでいたのですから、塾長のお話は私にとってはショックであり、それ故に福田は私の中で「変節」したのです。

戦後の福田恒存の業績は広範囲に亘って日本の保守の指針になっていると思いますが、一方では文学者は書いたもので評価されるのですから、「文学と戦争責任」での福田のスタンスは、時代の背景を考慮したとても、大変残念だと思います。

「変節」とは言い過ぎだというご意見については、「文学と戦争責任」に述べているように、福田が戦中に書いたものが軍国主義の圧力の下で書かされたと言うならば、戦中の著作は本意ではないことになります。ならば戦争中の日本についての福田の本意はどこにあったのかは分かりませんが、分からない以上「変節」とは言えないことになります。そうであれば先の「英雄否定論」も宜なるかな、ですね。

「ブルータスお前もかの福田恒存」にも書きましたが、「文学と戦争責任」には大東亜戦争を戦わざるを得なかった日本と同胞にたいする視点が欠けているのは文学者として如何なものか、という個人的な思いは強い。
Posted by 石原隆夫 at 2011年01月15日 16:58
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