2010年10月07日

尖閣事件へのマスコミ報道の偏向誘導を憂う小川揚司


                    

 <尖閣事件へのマスコミ報道の偏向誘導を憂う> 
  
              坦々塾会員 小川揚司

              
 尖閣事件と日中両政府間の対処に関し、その本質的な洞察については、西尾幹二先生の9月29日付の産経新聞「正論」でのご論考に、また、具体的な批判については、福地惇先生の10月1日付の本ブログにおける「ご所感」に、坦々塾会員の皆様の大方は共感共鳴しておられるところであろうと思う。小生もその一人として憤激と悲痛な思いを反芻している。

 そして、小生が最も憂悶しているのは、菅・仙石内閣・民主党政権の卑劣で破廉恥な対応も勿論であるが、それ以上に、それを痛烈に批判せず、更には、痛烈に批判した10月2日の三千人デモや同5日の五百人集会の模様を隠蔽し、同6日の国会における稲田議員と鋭い追求も「汚い言葉」だと詭弁を弄して切り捨てた菅首相の答弁のみ報道(朝日)するなど、国民には事実をありのままには報道せず、世論をあからさまに偏向誘導している新聞・テレビなど大手マスコミの姿勢であり、また、卒然と誘導されて、恰も対岸の火事を傍観するような世論・大衆の惚けた姿である。

 菅・仙石内閣は、国内法に基づいて粛々と対処すると繰り返しながら、中国のエスカレートする恫喝に狼狽し、忽ちのうちに節を曲げて卒然と船長を釈放し、しかもその責任を沖縄地検に転嫁し、国会答弁においてもなお「粛々、粛々」と繰り返している。流石に国民の大方も国際社会の大方も「日本は意気地無く中国の恫喝に屈服した」と認識しており、増長した中国でさえその流れを懸念しているにもかかわらず、菅・仙石内閣のみは頬被りし通そうとする鉄面皮である。

 されば、これほど吾が国に大きな国辱を与え、文字通り傍若無人の主権侵害に毅然たる反撃糾弾の態度を片鱗すら示し得ず、国の矜持と国益に重大な損害を及ぼした菅・仙石内閣・民主党政権を国民は厳しく糾弾すべきであるのも拘わらず、マスコミの筆剣は鈍く、それどころか、前述のとおり尋常な国民の痛烈で真摯な弾劾の声を行動を意図的に隠蔽しにかかっおり、世論・大衆も生半煮え切らず、経済大事と事なかれ主義の潮流に流されようとしているかに見受けられる。何故であろうか。

 10月4日付の本ブログに掲載された足立誠之先生の「1946年憲法の毒牙」が、その元凶を直示している。
「1946年憲法」即ち現行の「日本国憲法」は、如何に「平和憲法」と辞麗句によって修飾されても、本質は「戦争放棄・戦力不保持・交戦権否認」と云うあからさまな「主権制限条項」を填め込まれた「GHQ占領政策憲法」であり、その欠落を「日米安保条約」より補完して、ようやく国際社会に対して体面を保つものであり、本質的には軍事・外交の主体性を持たない「保護国憲法」なのである。(米国の保護国であった「フィリピン憲法」をプロトタイプとするのであるから当然のことではあるが)

 その憲法を吾が国に強要しながら、米国は朝鮮戦争に転機に、吾が国に対し再軍備を命令し、警察予備隊、保安隊・海上警備隊を経て自衛隊が誕生した。しかし、憲法は改正されず、国際社会においては「軍隊」と認定されている自衛隊も、国内においては、即ち現行の「日本国憲法」下においては、何とも奇妙な「ヌエ」のような存在である。

 即ち、外見(兵器体系は軍隊並みであるが、軍隊に必須の諸権限は与えられず、その行動は警察同様に制約されている。(「軍隊」と「警察」は、その役割と権限を根本的に異にする。即ち「軍隊」の権限は、原則「無制限」であり、国際法により僅かに制約を受けるのみである。対して「警察」の権限は、原則「制限」であり、国内法により厳格かつ詳細に規制されている。)「自衛隊」は、外国からの侵略から吾が国を防衛する任務を与えられながら、その権能は国内の治安維持と法の執行を任務とする「文民警察」並みに雁字搦めに縛られているのが現状である。

 尖閣列島に対し、中国は今後も計画的に侵略行動をエスカレートして来るであろう。現在、海上保安庁が巡視船による警戒を強化しているとされているが、海保は所詮は「水上警察」に毛が生えた存在にすぎず、所謂「コースト・ガード(沿岸警備隊)」ではないのである。しかし、自衛隊は、上記のとおり雁字搦めに縛られた存在である、特に、武器の使用に関しては極めて非常識な縛りがかけられているのである。(領空侵犯する中国やロシアの軍用機に対しスクランブル発進する航空自衛隊の戦闘機も例外ではないのである。)

 尖閣列島に陸上自衛隊を配備せよ、或いは、海上自衛隊の護衛艦を巡航させろ、と云う勇ましいご意見も吾々の同志達や尋常な国民の間から続出しているが、現在の自衛隊を縛る非常識な法制の下では、いざ有事と云う段階においても迅速果敢な行動は、自縄自縛のためにとてものこととれないのである。
 また、自衛隊(軍隊的組織)は、システムであり、如何に勇猛な将兵が揃っていても、如何に兵器が優秀で練度が高くても、そのトップに菅某や北澤某が如き小心で蒙昧な売国奴が乗っかっており優柔不断に終始すれば、システムは作動できないのである。

 更に深刻な根本問題は、上は国会議員、有識者、マスコミのリーダー達から、下は大多数の大衆・庶民に至るまで、「平和憲法(占領憲法)」と戦後教育により「自虐史観」を刷り込まれ、菅某や仙石某、小澤某や鳩山某に代表されるように、完全に「国家観」を喪失した、更には国家に対する怨霊の如き反国家主義者・利己主義者達が、程度の差こそあれ、国民の多数を占めていることである。自分たちを心から信頼してくれる数多の国民が背後から支えてくれなければ、お国のためにと真摯な思いを堅持する自衛隊員達も後顧の憂いなく戦うことはできないのである。(小生は、三十余年の防衛省(防衛庁)・自衛隊勤務において、特に内局在勤中の国会対策業務において、徹頭徹尾、自衛隊を仇敵視し虐め抜いた面々の数々の所業を鮮明に承知しており、そのような売国奴どもが現内閣の中枢に蟠踞していることに徹底的な不信感を抱いている。)

 これらの売国奴どもを打倒し、福地惇先生が言及された「救国愛国政府」の実現を希求できるか否かは、ひたすらに国民が戦後レジームの呪縛から覚醒し、尋常な「国家観」を回復するか否かにかかってところであると確信する。



posted by 坦々塾事務局大石朋子 at 23:14| 東京 ☁| Comment(0) | ゲストエッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。