2010年04月22日

『日本開国』 足立誠之



近現代史の点描画

―――渡邊惣樹著「日本開国」(草思社)


      坦々塾会員  足立 誠之

  毎年8月が近付くと昭和史家と呼ばれる近現代史の専門家による「あの戦争」(大東亜戦争、太平洋戦争)についての分析・考察が雑誌やテレビで採り上げられます。
  ところがその内容は日本の分析のみであり、アメリカについての分析は全くといって よいほどなされていません。アメリカについての考察分析なしに「あの戦争」を 論 ずることもあの時代の日本の分析も本来なしえない筈です。
  こうしたことは日本の近現代史から今日の国際政治にまで及んでいます。
カナダ在住ビジネスマン渡邊惣樹氏の近著「日本開国」はペリー来航と日本の開国を採り上げたものですが、日本近現代史の欠陥を明らかにしており、極めて示唆に富むものです。

本書のストーリーは次々に変わります。 日本については頼山陽と日本外史、シーボルト事件と国防情報の流出、弁財船の漂流、感応寺スキャンダルと寺社奉行阿部正弘の処置など。アメリカについてはロビイストで法律家アーロン・パーマーの活動、退官後の初代財務長官ハミルトンと現職副大統領の決闘、瀝青から抽出したケロシンの最初の燃焼実験とその後の鯨油から石油への転換、などが綴られます。

 読み進むに連れて当時の日米の情況、アメリカの行動原理がはっきりとして来ます。
こうしたアプローチは点描画を念頭にしていることは巻末にあかされますが、大筋は次のようなものでした。
アメリカ人のアジア進出は領土が太平洋岸に達するはるか以前からはじまっていました。
彼等はニューイングランドなど東海岸から大西洋、喜望峰を回りインド洋を経由し極東にたどり着いたわけです。
因みにペリーの日本遠征艦隊も西海岸からではなく、東海岸で 編成され、大西洋、インド洋を経て来航しています。

 アメリカは1833年にタイ王国と和親条約を結び、44年には清国と望厦条約を結びました。これはアヘン戦争の結果英清間で結ばれた南京条約の2年後のことです。
  当時、シナで活動を始めていたのは宣教師と貿易商でした。ラッセル紹介など貿易商 の多くはニューイングランドをベースとしてアジアへと渡ってきていました。
 このラッセル商会を始めとする貿易商会の多くはイギリスと同様アヘンによるドラッグ犯罪ビジネスで膨大な利益を貪っていたと本書は記します。それはその後の東部エスタブリシュメントにつながります。
ラッセル商会の共同経営者であったウォーレン・デラノの孫(娘の長男)は後の大統領フランクリン・デラノ・ルーズベルト(FDR)でした。
  FDRはシナ在住経験はないもののシナ通を自認していたとありますからラッセル商会の暗部も知っていた筈ですし、シナ関連の情報・人脈も相当持っていた筈です。
こうしたFDRの存在は日米関係に大きな影響を及ぼしていた筈です。
渡邊氏によればアメリカのエリートは中国にたいしてはアヘンの「借り」の意識があり、日本には"開国"の「貸し」の意識があるそうで、どちらも日本の国益にはマイナスに働くと記しています。中国に対しての「借り」はともかく、砲艦外交による「日本開国」を日本への「貸し」だと思っているのなら筋違いでしょう。

それはともかく我々には誤解があったようです。日本人は中国に関しては自分達の方が先輩でありアメリカは新参者だと思っています。ところがアメリカのエリートは自分達の方がずっと以前から中国と関係を持っており、日本は"開国"のおかげで中国に出てきた新参者に過ぎないとおもっているらしいのです。

さてアメリカの領土拡大についての日本人の知識は「フロンティア」「西部開拓」と言う言葉が浮かぶ程度でしょう。本書はアメリカによる太平洋岸領土取得を詳しく記しています。
アメリカは1846年6月、イギリスと結んだオレゴン協定で今日のワシントン州、オレゴン州、アイダホ州を獲得し、始めて太平洋岸を確保します。
更にメキシコから広大な領土を半ば強奪します。
 最初はテキサスでした。テキサスはメキシコ領でしたが、移民受け入れ政策の結果アメリカ人の人口が急増します。これを警戒しメキシコ大統領は自ら出兵しますが、奇襲により捕虜となった上、テキサス独立協定の署名を強制されます。(1836年4月テキ サス共和国独立)その後住民の意思により1845年3月テキサスはアメリカに併合されます。
(自民党の"無邪気"な「移民一千万人計画」案が頭をよぎります。)
 ポーク大統領の時代アメリカはメキシコから更に広大な領土を力で手にいれました。

 彼は「全ての国民が平等で抑圧からの保護を受けられるアメリカ建国精神を考えれば、世界はアメリカに軍事的脅威を感じる必要は微塵もない」と述べたのでした。
本書は更に記します、"アメリカこそが自由と民主主義にもとづく道徳世界を構築する重大責務を、神によって与えられた国であるという思い込を抱き、その思いは「明白なる 宿命=manifest destiny」というスローガンで表現されます。アメリカが世界に向き合うとき、今でも根強い信条です。"

アメリカは1846年から48年の米墨戦争の勝利によりテキサスの国境をリオ ・グランデまで広げ、カリフォルニア、ネバダ、ユタ、アリゾナ、ニューメキシコ、コロラド、カンザスにおよぶ広大なメキシコ領土を1500万ドルで買収します ポーク大統領に戦争を決意させた誘引はメキシコの貧弱な軍事力と脆弱な誠之であったと本書は述べています。
 現在の日本の状態はこれに酷似しています。

 こうしてアメリカが太平洋岸のカリフォルニアに達した5年後ペリー来航となるわけです。
ペリー来航と日本開国は、当時盛んであった北太平洋における捕鯨業のために薪水食糧の補給基地として日本の開国が必要であったことに起因すると説明されてきました。
本書はそれを否定はしませんが、米海軍艦艇の四分の一を動員したこの遠征計画にはそれ以上に重要な国家プランが存在したことを立証しています。
 それは来たるべき蒸気船時代を展望し、シナにおけるアメリカの経済活動とカリフォルニアの繁栄を結びつける航路、"太平洋ハイウエイ"を石炭の補給基地日本を経由して構築する計画でした。
この太平洋ハイウエイ構想と日本遠征計画(本書では対日戦争計画と表記される)を立案した人物が政財界に太いパイプを持つロビイストで法律家アーロン・パーマーでした。
 パーマーは日本情報を徹底的に収集分析し具体的な日本遠征計画を構築、政権に提案し、政権はその案を採用しました。
 パーマーは日本人が他のアジア人とは異なりヨーロッパ人に近い資質と気質を持っていると記し、日本が将来東洋のイギリスになるであろうと予言しています。

一方日本の物流が沿海航路に依存していることから日本を屈服させるには、江戸湾を封鎖すれば足りるとしていました。
 こうした分析・俯瞰と冷徹な作戦案は日米戦争 のB29による本土無差別焼夷爆撃を想起させます。
大統領は要員をオランダに派遣し、日本情報を更に徹底的に収集させます。
 この計画の存在が広まると、軍事力による砲艦外交への反対の声がタイムズ紙などから上がります。ところが日本から送還された一漂流民による日本で受けた残虐の談と称する記事がタイムズ紙に掲載されると、同紙を始め世論は対日強硬論に一変し、瞬く間に日本遠征計画はアメリカ全体のコンセンサスになってしまうのです。
当時既に日本は薪水給与令により漂流民への慎重な対応を心がけており、本書はアメリカのこうした"暴発"の経緯に疑念を呈しています。

何かの報道をきっかけとして世論が情念を帯び一方に暴走し、それが戦争などアメリカの行動を決定する。そうしたパターンはアメリカの歴史に屡みられます。
  "大量破壊兵器"の存在の政府発表を契機としたイラク戦争、最近のトヨタリコール問題もそうしたことを裏付けています
 日本延性艦隊司令官には既に任命されていた人物に代え声望のあるペリーが任命されます。
ペリーは日本に関することについて、歴史、地理、風俗、習慣、宗教から動植物、昆虫類から貝類におよぶまであらゆる情報を収集します
  幕府もオランダを通じて急変しつつある周辺情報を収集していました。
アヘン戦争と清国の敗北の情報を得るや、先に述べたように1842年には従来より柔軟な天保薪水給与令 を出しています。ペリー艦隊の来訪についてもその時期、規模などを事前に得ています。

 こうして1853年、ペリーは浦賀に来航し大統領の親書を幕府に手渡した上、香港に戻ります。そして翌年再度来航、下田、函館2港の開港を骨子とする日米和親条約が結ばれます。
 1856年にはハリスが下田に領事として赴任し、58年には日米修好通商条約が結ばれました。
以上が粗筋ですが渡邊氏の"点描画"を改めて距離を置いてみると驚くべきことに気付きます。 それは、日本人とアメリカ人の間に隔絶した違いがあるということです。
 何事も穏便に始末する日本人の好みにあった阿部正弘。初対面から虫の好かなかった相手との決闘で死亡したハミルトン。丸で生き方が違います。
 又ずっと先のことになる蒸気船時代のためにシナとカリフォルニアを結ぶ"太平洋ハイウエイ計画"を立て、日本を開国させるが、日本との通商には興味を示さない。こうしたアメリカ人の感覚は当時は勿論今の日本人の時間・空間感覚をはるかに超えています。

 アメリカでは個人の戦いを是認しています。私事になりますが、娘がアメリカの公立小学校に通っていたとき、先生(女性)にいじめの相談に行ったところ、先生はフアイティング・ポーズを取りながら、「戦いなさい」と教えたそうです。

 毎日の国歌斉唱、国旗への敬礼、そして独立宣言から歴史を通じての教育で国を愛することが教えられます。「戦う」ことを是認する中でこうして育つアメリカ国民が世界の中で国益(アメリカにとってのプラス、マイナス)の俯瞰図を常に描きその上に戦略を構築することも当然でしょう。"太平洋ハイウエイ構想"はそういう位置づけだった筈です。

 1905年の日本海海戦、日露戦争の勝利で日本は東洋のイギリスになったことは渡邊氏も記しています。
ここで見過ごしてはならないことは、その8年前の1897年米海軍は日本を仮想敵国とするオレンジ計画を策定していたことです。
 こうした俯瞰図とその上の戦略の枠組みは、今日も厳然として存在しています。
21世紀に入り、アメリカは中国のWTO加盟を認め、中国をグローバル経済の枠組みに組み入れました。
その一方、2000年10月米議会は国家安全保証上の観点から中国にかかわる事柄を調査、議会に諮問し報告する機関USCC(U.S.-China Economic & Security Review Commission、米―中国経済安全保証レビュー委員会)を設立しました。

 毎年議会に提出されるUSCCの報告書の内容は、中国に対する厳しい見方をしめしており、中国を"仮想敵国"と看做している風が窺えます。
否、あらゆる時代においてアメリカは"敵国"若しくは"仮想敵国"を持つ国といえるでしょう。
USCCは変わることの無いアメリカ対外政策の俯瞰と戦略の枠組の存在を証明しています。
こうしたアメリカの分析なしに冒頭申し上げたような「あの戦争」を日本の分析だけで評価することはできないことはお分かりいただけるでしょう。

 史家もそうした日本分析の土台となっている史料には後述のように大きな欠陥が内包されているのです。
日露戦争、第一次大戦を経て日本は満州事変、日華事変にいたります。そして「あの戦争」に日本は敗れました。その結果、アメリカによる占領下に入り、1952年4月28日ようやく主権を回復します。
 この間、GHQは密かに且つ協力に検閲と言論統制を実施していました。(江藤淳著「閉ざされた言語空間、文春文庫その他」更に近念明らかになったことはGHQが昭和3年から終戦にいたる期間に日本で発行された図書7千余点を焚書していたことです。(西尾幹二著「GHQ焚書図書開封」徳間書店、現在3巻まで出版)そしてアメリカは未だに対日戦争にかかわる外交文書を公開していません。
 近現代史家達の「あの戦争論」は、検閲や焚書で「洗い清められた"後に残された史料をベースに構築されているのです。

 「日本開国」からぼんやりとうかんでくることがあります。ここで書かれている、アメリカのメキシコ侵略やシナでのアヘンドラッグ犯罪ビジネスでラッセル商会などが巨利を得ていたこと。こうしたことを今の日本人が殆どしらないことです。
 それは江藤氏が記した検閲・言論統制、西尾氏が今あきらかにしつつあるGHQによる焚書の存在を間接的に裏付ける意味を持つということです。
 アメリカはそうしたおおきな俯瞰と戦略の枠組みを持つ国であることは既に述べました。
渡邊氏の点描画「日本開国」は以上のように私に映りました。
ペリー来航を契機に日本は開国しました。然し占領で日本はマッカーサーによる鎖国に入たのです。そしてその鎖国、"マッカーサー鎖国"は今も続いています。
posted by 坦々塾事務局大石朋子 at 22:09| 東京 ☔| Comment(0) | 読書感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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