2010年04月03日

『江戸のダイナミズム』池田俊二


  『江戸のダイナミズム』

        坦々塾会員 池田 俊二


西尾先生の『江戸のダイナミズム』からは、
實に多くのことを學んだ(その何割が實際に
身に着いたか覺束ないにしても)が、その一
つは支那の郡縣制度。平素からきちんと勉強
してゐる人には、さほどのことでもないのか
もしれないが、私には目から鱗であつた。
以下、數ヶ所を引用させて頂く。
――   ――  ――
秦漢より後、中國は役人が三年で地方官を
交替して渡り歩く郡縣制度をとり、日本のよ
うな世襲の大名が人民とそれぞれの地域で密
接な接觸をもつ封建制度ではなくなつてしま
つた。

徂徠が周の封建制度を禮讚し、秦漢以後の
郡縣制度ならびに科擧による官僚登用制度を
否定してゐた事實であります。

封建制を評價し、郡縣制を否定するのは、
日本史に即せば徳川體制を評價し、奈良平安
の律令體制(隋唐の郡縣制度のまね)を否定
するというような意味合いであり、周の再來
を江戸に見るという理想主義的幻想もほんの
少し徂徠にあつたということも事實です。

官吏ということばは「官」と「吏」の二つ
に分れるそうです。「官」は・・府知事のよ
うな、中央から派遣されてくる高級官僚であ
つて、できるだけ鷹揚に、寛大にして遊んで
いればいい存在です。しかしそれでは實際の
行政がはかどりません。實務をしてくれるの
は現地にたくさんいる胥吏すなわち「吏」で
す。

・・ 胥吏は事實上無給に等しいので、直接
人民から取り立てる手數料――自ら金額を手
加減して決める――で生活するのだそうです。
とはいえ「官」のほうも必ずしも高給ではな
い。・・慣習的に默認されている役得という
ものがあつて、・・莫大な收入が得られる仕
組みになつていたようです。
    ――  ――  ――
以上を讀んで、なるほど秦漢の昔から、支
那では「官」も「吏」も基本的には、正規の
給料で食ふ習慣がなかつたのだと納得した。
「役得」と言ふと、我等日本人には横領・收
賄と紛はしい、惡いことのやうに感ぜられる
が、支那人の場合は根本的に違ふのだらう。
そして思ひ出したのは大宅壯一の次の囘想で
ある。
# # #
戰爭中、私は、徴用されて南方にいたが、
私たちの組織で使つている中國人が買物をす
るたびに頭をハネるということをきいて、本
人を呼び出して調べてみた。すると、彼は率
直にそれを認めた。しかし、それは惡い習慣
だから今日限り改めろといつても、かれには
どうしてもその理由がのみこめないのである。
その商品を買うためには、自分が仲に入つて
その商品と商店を選ぶのに盡力した以上、一
割の手數料をとるのはどこが惡いといつて、
なんと説明しても納得しない。私があまりし
つこく追及すると、彼は急にうなずいていつ
た。
「よくわかりました。今後は商人から手數料
を二割とつて、一割はトアン(旦那)のほう
へお屆けします」
これには私もあいた口がふさがらなかつた
が、その後よく調べてみると、これはかれら
の間に古くから普遍的に行われている習慣で
あつて、日本式潔癖さで干渉してみたところ
で容易に改められるものではないことがわか
つた。(大宅は、それに感染した日本人の間
で、戰後、支那方式が蔓延しつつあると嘆い
てゐる)。
# # #
幕末に來日したシュリーマンは清と日本の
役人を比較して、前者は平然と賄賂を取る、
後者は取らずに廉潔だと言つてゐる。しかし、
さう簡單に割切れるものだらうか。なにしろ
彼らは二千數百年間、「默認」された「役得」
で食つてきたのであり、これと「賄賂」を截
然と分けられるか疑問である。
共産支那の抱へる大きな問題として、黨幹部
の「腐敗」が屡々擧げられる。腐敗根絶といつ
た掛け聲をよく耳にするが、大抵掛け聲だけで
終るやうだ。
けふの産經にも「黨官僚は公金の8%以上
をくすねている」「さすがに黨官僚の不正を
胡錦濤指導部も灰色のまま放置できなくなつ
た」「(全人代で)温家寶首相は『灰色收入
の斷乎取り締まり』を打ち出した。しかし、
幹部から異論が續出、結局うやむやにされて
しまつた」といつた記事が載つてゐる。
なにしろ、「頭をハネる」ことが惡いと思
はぬ民族なのだから、事はさう簡單に進む筈
はない。共産主義・共産黨だけの問題ではな
からう。「灰色」と「白」はどこで區切るの
か。7.5%なら白か(「默認」していいの
か)。
東南アジアや中東で仕事を取るには、相當
の賄賂ないしはコミッションは當然の必要經
費とは、日本企業の人たちがよく語るところ。
我々日本人とは、まるでメンタリティが違
ふのだらう。日本の役人にも賄賂を取る奴は
ゐるが、「惡い」こととは分つてゐる筈だ。

足立誠之さんの「朝青龍問題というブーメ
ラン」を興味深く拜讀し、共感を覺えました。
「日本人には當り前に見えることでもモン
ゴルの力士には理解し難いことばかりではな
いか」――そのとほりでせう。そして、それ
は「頭をハネる」ことについても、言へるの
ではではないでせうか。つまりidenti
tyの違ひです。
最近、日本國内のあちこちに新たなコリア
ンタウン、チャイナタウンが出現しつつある
さうです。彼らの生活態度について、周邊の
人から聞くと、驚くことばかりです。彼らと
日本人とを、同じ「人類」といふ範疇に入れ
ていいのかとさへ思はれてきます。
「何の軋轢もなく總てが理解しあえるとい
うことは絶對にありえない」との足立説に再
び同意せざるを得ません。

posted by 坦々塾事務局大石朋子 at 19:27| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。