2010年03月02日

日米関係L 浜田 實



 日米関係L 和佐隆弘氏 聞き書きメモ

  ………日本の「一国ニ制度」……

     坦々塾会員  浜田 實

 学者が学問の独立、新聞記者は報道の自由といった特権を有する者は「産婆役」に徹しなければいけない。それが彼ら自身のベルーフ(=天職)を果たすということである。難産でその産婆役は、今の帝王切開せざるを得ない日本(母子)を、何とか生きながらえる義務がある。しかし現状は、産婆役の意味を知らないがゆえに、日本社会は母子共を殺そうとしている。この比喩をお分かりいただけますか?私の考え方(=国家救済)を「危険思想」をとらえる向きもあるが、危険思想はいったいどちらであろうか。私は母子共を生かしたい。
 宮脇磊介氏は自著で、日本人は騙されやすいのはマスメディアの責任が大きいと書いているが、何故騙されやすいのかを考えなければいけない。原因はひとことでいえば、ジャーナリストに「分析力がない」に尽きる。それは「最悪の状態に備える結果を得ること」であり「先憂後楽」の道筋をつけることでもある。

 合計と部分の総計は一致する。ところが日本は「一国ニ制度」をとっているため一致しない。大蔵省が粉飾決算を求めていると。それは簿価と時価の差と思えばよい。どこかに「嘘」があるというこに他ならない。旧制度をそのままにして、その差額を担保に金を借りるという構造が「日本型システム」として、ウォルフレンらによって批判された。この裏にはニセ金づくりがあり、欧米の銀行支配を荒らし回してきた。だから日本に対して「正当防衛」の手段を講じる権利があるという根拠を与えることになる。それが冷戦後のBIS規制である。経済的には日本が「経済環境」を汚染し続けており、その傾向はますます酷くなりつつあるということにもなる。
 日本人の誰一人として、アメリカを敵と思っていないのに、アメリカに敵対化される。日経をはじめとする、本当の「産婆役」が不在なため、旧態以前とした「日本型システム」がそのままの状態であることによる。結果は日本がプランクトンも済めないような状況の経済汚染国家になっている。すでにアメリカ、中国、北朝鮮にすら外交で負けているすがたは、その延長戦にあるからだ。

 逆説的だが、日本はフリーメーソンの恩恵を受けているとも云える。もしペリーの来航が10年、20年遅れたら、明治政府ははたして日清、日露の両戦争で勝利を得ることができたか分からない。当時のアメリカも、彼らの進出目的は「欧州に出遅れるな」という帝国主義そのもので、目指すところは広大はシナ大陸市場であった。日本は単なる橋頭堡であった。

 日本人は為替、株価ひとつにしても、そこに「人類」を読む必要がある。かつて椎名議員は質問に対して、竹中大臣は「ピクチャーを描けないのが行政の実態だ」と言った言葉が忘れられない。日本の政治家も官僚も隘路に入り込んで、どこから抜け出たらいいか分からなくなっている。彼らは心身ともに不自由な状況だからであろう。ルソーが「自分では自由だと思っている人々もすべて鎖につながれているのが人間」と言ったところの奴隷の状態にあるのが、日本の特権層である。だから松下幸之助が「知識の奴隷になるな」と言った。「自修自得せよ」と言ったのであるが、松下政経塾を卒業した人のなかでも、全部とは言わないが、政経塾を政治家の単なるパスポートに利用して幸之助精神を放擲した人が多いのは許せない。

 世界の歴史は「戦争の歴史」*1である。日本人のように「平和を前提」にしてもダメ。ウォルフレンの「日本が分からない・・・」をして、彼らを単なるジャパンバッシャーと決め付けるという不作為がどれほど、新たな経済パラダイムシフト化を妨げていることであろうか。(ニセ)学者とU(ニセ)ジャーナリストの堕落と虚偽性は万死に値する。*2

 日本社会の良さは、「和の精神」とか「勤勉性」「協調精神」とかが云われるが、その世界(文化主義)だけでは、日本社会特有の「嫉妬」精神の餌食になる。そうではなくて、むしろ、日本から離れようとした(=距離をとって日本を観ようとした)人物(吉田松陰、佐久間象山、勝海舟、福沢諭吉、原敬、三島由紀夫・・たち)にこそ、近代日本を創成し支えようとする、日本人離れした真の精神があった。現在の官僚は戦前の「天皇の官僚」のままであり、天皇をタナに上げて、国家権力を私物化している。アメリカはこういう実態を知り尽くしている。この本質論を抜きにして、今の日本社会を徒に評論しても始まらない。

 日本はリヴァイアサン国家・アメリカを「味方」にしなければいけない。それはアメリカに屈従することではなく、逆にアメリカを(いい意味でコントロールし国家の自立をうながすことになる。文明的考察、分析を無視して、日本の明日、日本の再建はない。あたふたしている日本社会の実態を見るにつけ、なんとか本質論で議論できる人物に、我が思いを託したいものと考える今日この頃である。

 *1 ホッブスが、社会の自然状態とは「万人の万人との戦争である」とリヴァイアサンを書いたのは、「イギリス アズ ナンバーワン」で内乱状態となった16 
   51年のこと。
 *2 ニクソンショックの次代に日本に来てベトナム戦争の処理を日本に協力させようと東南アジアの研究にやってきたブレジンスキーが「ひよわな花・日
  本」(1972年)で見事に分析している。キッシンジャーのニクソンドクトリンの問題点まで、41年前に分かりやすく分析している。
                                                                              (続く)

posted by 坦々塾事務局大石朋子 at 20:00| Comment(0) | ゲストエッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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