2009年12月11日

「保守の怒り」について 和田 正美


       「保守の怒り」について

         坦々塾会員 和田 正美

 本書を一気に読み通す時間が無く、部分的に読ませていただきました。ですから以下のことは本書全体への感想とは思わないで下さい。

 @保守という言葉が幾つかの意味で使われていて、焦点を合わせにくいと感じました。「のびやかで堅実な生活を望む心、文化や伝統を声高に唱えはしないけれど、日々の生活そのものに伝統が生き、文化が根づいている、そういう『普通の生活者』たち」(平田氏)は美しい表現であり、「もの言わぬ、しかし堅実な日本人生活者ーーそれこそが保守」(同)に通じていますけれど、この視点がもう少し生かされていればよかったと思います。それからこういう生活者が自由主義や個人主義を信奉しているとは限らないのではないでしょうか。

 A「東京裁判にこだわることは、東京裁判の思考枠に自国の歴史を閉じ込めてしまう」(平田氏)とありますが、それならどうすれば東京裁判を批判することが出来るのですか。

 B「権力がなくなったのではなくて、権力はある」「その権力はアメリカだった」(西尾氏)は最近の状況に照らして正しいようですね。早くも20年位前に江藤淳が似たようなことを言っておりました。

 C「十字軍的な動機みたいなものがあって、アメリカの戦争には何かヨーロッパとは異質のものが私には感じられる」「アメリカはとてつもない宗教国家ーー野蛮で、衝動的な対応の仕方」と西尾氏は言いますが、日米関係について考えるときにはこの事を頭に置くべきだと思います。

 D歴史を通して心ある日本人は天皇といえども駄目なのは駄目としてしりぞけたという平田氏の指摘は痛快です。たとえば後醍醐天皇はどう見ても政治的 野望に取り憑かれた好色な君主であり、後醍醐シロ・尊氏クロという図式はおかしいと思います。

 E「靖国神社で慰霊祭をやるときの最大の問題は、たとえば東京大空襲とか、広島、長崎の原爆とか『非命に斃れたる者』のお祭りができないことです」(平田氏)は私の年来の疑問に応えるものです。戦争の犠牲者は狭義の戦没者だけではありません。

 F「(朝鮮の問題で日本は)いいこともした、悪いこともしたと、どっちだっていいだろう、何が文句があるんだ、と言え」と西尾氏は述べておりますが、賛成です。ただ逆の場合も考えておいた方がいいでしょうね。アメリカ人に、戦争末期の日本人虐殺や占領期のおける言論検閲、焚書などの悪事を突きつけて、「何が文句があるんだ」と開き直られたら、我々はどう対応すればよいのか?

 G西尾、平田両先生に見られる憂国の志は見事です。我々はそれを受けて自分の中の憂国の志を新たにすべきでしょう。その際心しなければならないのは、人によって憂国の形が異なることです。その点、晩年の三島由紀夫が憂国の士は自分だけだと思い込んだのは困ったことでした。本書でインチキ保守として実名を挙げられた人達の反応を知りたいような気もします。


     
posted by 坦々塾事務局大石朋子 at 18:52| Comment(0) | 読書感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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