2009年08月10日

萩野先生の最後の授業 大石朋子



 8月10日の産経抄を紹介します。

 故萩野貞樹先生のことが書いてありましたので、坦々塾での講義を懐かしく思い出しました。

 平成19年11月11日に行われた坦々塾の講義が、外部で行う最後の講義であった萩野先生は、余命を宣告された身でありながらも病を感じさせない講義を私たちに行ってくださいました。

 会ったことの無い会津の米山さんのお手紙から産経抄に萩野先生のことが掲載されて、懐かしさと嬉しさで紹介させていただきます。

<産経抄>8月10日

3日付のコラムで、台湾でいまも使われている漢字の「正体字」が、中国で見直されつつある、と書いた。そんな動きに日本だけが無縁である、とも。すると先日、「参經抄擔當者樣」あてに手紙が届いた

▼小紙に掲載されるせめて1本のエッセーでも「正漢字正假名」にならないか、というのだ。差出人は、福島県会津若松市の眼科医、米山高仁さん(56)だった。「談話室」の常連執筆者の一人だから、名前に覚えがある。

▼米山さんが、歴史的仮名遣いや正漢字を使うようになったきっかけは、50歳ごろから始めた俳句や短歌だった。生まれ育った祖父の代からの医院には、戦前に出版された雑誌や本が多数残っていた。子供のころから、それらに親しんできたから、違和感はなかったものの、正しく使うのは難しい

▼米山さんは『舊漢字』(萩野貞樹著 文春新書)を教科書にして、毎日1ページずつ書き写し、巻末の「正漢字表」を切り取っていつも見ているそうだ。「正漢字の練習は、脳の老化予防にもなると思います。画数が多いから、視細胞が刺激されるし指の運動も多くなる」と話す。

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    <萩野貞樹先生と
『舊漢字』(萩野貞樹著 文春新書)>

▼最近では紹介状など仕事の文書も、正漢字で通している。ただ、所属していた短歌誌は旧漢字を認めなかった。「なよ竹の風にまかする身ながらもたわまゆ節のありとこそきけ」。戊辰戦争で自刃した西郷千重子(家老、頼母の母)の辞世をここで思い浮かべるのが、いかにも会津っぽらしい 

▼節を曲げることはできない、と短歌会を辞したのはいうまでもない。「戦前の『醫學』には威厳と権威がありました」ともいう。なるほど、モンスターペイシェントといわれる患者の出現も、漢字の簡略化と関係があるのかもしれない。

画像 008.bmp

<萩野貞樹先生の坦々塾でのレジュメ>
   *手書きの文字は萩野先生

このレジュメの最後には

 「戀」という文字が手書きされ

「恋といふ文字のつくりの糸なれば
      したの心のくるしかるらん」
         (村田了阿『了阿遺書』)
と書かれてありました。


        坦々塾事務局 大石 朋子

posted by 坦々塾事務局大石朋子 at 06:48| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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