2009年07月06日

大阪万博の思い出

  大阪万博の思い出

 高校生の頃は、物事を深く考えることもなく、勉強をしなくても点数が採れる数学と、勉強をしないので点数が採れない現代国語や古典、漢文。
勉強しない、呑気な日々を送っていました。

 大阪万博で、台湾とフィリピンのガールスカウトを案内することになったが、元々勉強大嫌いの私は、案内する国の人の勉強すらしないで参加したのです。

 慣れない言葉で意思疎通が上手に出来なかったが、日が経つにつれお互いの気持ちが通じるようになってきました。

 台湾から来たメイは、物静かな子で、フィリピンから来たシンシアは元気いっぱい、私の持参したギターを弾きながら、フィリピンの歌を教えてくれました。
この時の歌は後になって知ったのだが、小さな子どもも歌う有名な歌でした。

 台湾からは、リーダー二人とスカウト六人、合計八人の参加でした。

 その頃は、香港からのスカウトも、香港代表として参加していました。

 彼女たちが帰国の途へつく少し前に、「私たちは、日本はとても良い国、日本人はとても良い人たち。だから日本へ行きなさい。日本を見てきなさいと言われて来た。日本に来てよかった。」と涙を流しながら話してくれました。  
                    チムとメイ、万博にて.bmp

   左から、メイ、シンシア、亀天

 「親戚の人たちが、お金を出し合ってくれた。感謝の気持ちのプレゼントを持って来ることが出来なかった。」と言い、制服のボタンを千切って「ありがとう」と言いながら配っている子も居ました。

 そこまでして日本に来てくれたのに、何も心の準備どころか調べることもしないで引き受けたことに後悔し涙が止まらなかった。

 知らないことは罪であり、恥であると、この時ほど思ったことは無かった。

   坦々塾事務局  大石朋子
posted by 坦々塾事務局大石朋子 at 13:52| Comment(6) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
大阪万博の頃

お勉強大好き少女風の亀天さまのお写真、微笑ましく拝見いたしました。
その感動から初めての書き込みをさせていただきます。

大阪万博といえば1970年。今は鬼籍に入る岡本太郎氏も三波春男氏もお元気でアポロが月の石をお土産に持ち帰り、米ソの宇宙戦争もアメリカの勝利で決着したかな、
資本主義経済の方が優位に立ったかな、という頃ですね。

一方では学生達も狂騒した安保反対の闘争が決着し、妙なくすぶりが残っている頃でした。

大阪万博は国民上げてのお祭りでした。観客数も憶を超えていたと思います。国民のほとんどが
大阪に集ったわけです。物質的に豊かになった日本。でも何か大切なものを忘れてしまったような
焦燥感とも閉塞感とも表しがたい想いがあったように記憶します。

そんな頃の亀天さまにお逢いできて、感激です。

台湾とフィりピンの少女は「憧れの日本」を訪れてくださったのですね。「お祭り日本」の案内気分だった亀天さま、
その重さに気づかれる瑞々しい感性をお持ちだったことに感動しています。

そして今は負の部分ばかりが強調されているけれど、大東亜共栄圏の思想で東洋人が結束し磨き合おうとしたあの頃。
台湾や半島やインドネシアにインフラと教育を広めた日本の政策が、こんな形で「憧れの日本」に結実していたことに、
あらためて気づかされます。

雨の日ちょっとブルーな昼下がり、いいお話ありがとうございます。


            ミヤズ姫 
Posted by ミヤズ姫 at 2009年07月06日 14:57
ミヤズ姫様

 始めまして、コメントありがとうございます。

 当時の私は何も知らず、「ハッタ」といわれても「?」

 後で、八田與一の事だと知って、彼の功績を知って、穴があったら入りたい気分になったものです。

 トルコ航空が何故日本人を助けてくれたのかという、エルトゥールル号の話も、日本人は知る人が少ないのです。

 こういう話を、日本人として自信が持てる話を、学校で聞かせて欲しいものです。
 
 つくる会の教科書を、多くの子供に読ませたいですよね。


 『憧れの日本』であるために!!

     亀戸天神
Posted by 亀天 at 2009年07月06日 16:25
亀天様
早速のお返事ありがとうございます。

台湾に巨大ダムを建設した八田與一のこと。

「日本人の歴史教科書」のコラムにもありますが、八田氏は昭和17年フィリピンの綿作灌漑調査に赴く途中、アメリカ潜水艦の攻撃を受けてお亡くなりになりました。

日本の敗戦、3年前です。

台湾に残っておられた未亡人の外代樹夫人は、日本軍が降伏文書に調印する前日の9月1日未明、
「みあと慕いて 我もゆくなり」
と書き残して、ダムの放水路に身を投じられたそうです。
日本女性の気高さを思い、胸がいっぱいになります。
平和日本の今となっては、このような死に異論を唱える人が多いのでしょうが、占領下に生きる事を潔しとしない身の処し方を美しいと思います。

Posted by ミヤズ姫 at 2009年07月06日 19:14
ミヤズ姫様

 そういえば「月の石」は、待ち時間3時間といわれて、スルーしたような記憶があります。
 彼女たちは、楽しみにしていたかもしれない。

 ああ、思い出す度に悔やむことが多過ぎます。(涙)

 これからも、色々教えて下さい。コメント欄で待っています。

   亀戸天神

 
Posted by 亀天 at 2009年07月07日 08:30
なつかしいですね〜、万博ですか。もう記憶の彼方に消えかかっていました。
高校時代から(もっと前から?)ボランティア精神を持たれていた、亀天さんにチョット驚きです。なにしろ私はボランティアとは無縁の生活をしていましたから。それに写真の乙女亀天さんは、なんとスリムな・・・(失礼しました!)1970年代に流行った、森田公一の「青春時代」なども思い出しました。

当時は、「ミッチーブーム」「東京オリンピック」「日本万国博覧会」などを経て、
「戦後の日本は終わった」、「新しい日本」を目指し、などといわれ「高度経済成長」へとまっしぐらの時代でしたからね。

亀天さんが「知らない事は罪であり、恥である」と書かれていますが、当時の国民の多くは、亀天さんと同じような感覚だったのではないでしょうか?

そこで、また思い出しました。「無知は罪である」と言った裁判官がいました。選挙違反の裁判で、運動員に有罪の判決が下りたときに言った言葉です。ここでの「無知」とは、大多数の人が常識として身につけている事柄を、知らなかったでは通りませんよという事でした。

万博から40年、あらゆる問題が表面化してきた今、もう知らなかったでは済まない段階に入ってきています。気が付いた時がスタートです。

「知って、何もしないのは大罪である」と、上記の裁判官の言葉に、自戒を込めて付け加えたいと思います。

Posted by お涼  at 2009年07月07日 14:03
 お涼様

 お久しぶりです。コメントありがとうございます。

 「気がついたときがスタート。」「知って、何もしないのは大罪である」
本当にそうですね。♪

 立ち直りの早い亀天は、これから頑張ればいい。と受け取りました。

 頑張るぞ〜。

   亀戸天神

Posted by 亀天 at 2009年07月07日 23:23
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