2009年04月10日

天皇 皇后両陛下のご成婚50年を言祝ぎて


 浅野正美

 坦々塾会員・坦々塾事務局映写担当

 昭和34年4月10日、ちょうど50年前のこの日、日本中が沸き立つ御慶事があった。この年の12月に生まれた私は直接に体験したわけではないが、折に触れて放映される 映像を通して、その出来事はすでに「記憶」の一部となっている。

 一度だけ、両陛下を間近で拝見する機会があった。それは昭和53年、私の郷里信州諏訪をご訪問された折のことだ。今ほど警備も厳しくなく、ほんの指呼の間といって良い距離をお歩きであった。小雨がぱらつく空模様、当時皇太子殿下でいらした陛下は御自ら傘をさして歩かれていた。

 昭和64年1月7日。長い病の末に昭和天皇が御隠れになり、平成の御代が始まった。意識の上では、永遠に昭和の子でいたいというような感情があったが、その平成も今年で20年の歴史を閲することとなった。両陛下の国民を思うお気持ちは、折々の御製、被災地へのお見舞い、慰霊の旅、そして非常に大切になさっている宮中祭祀を通して我々国民にもしっかりと伝わって来る。その御生涯に私はなく、ただひたすら公のために、祈りを捧げて来られたのだと思う。御皇室の存在は我が国の誇りであり、人類の奇跡である。歴代124代、源泉は神話にまでさかのぼる。今、御皇室の危機、具体的には皇統断絶の危機が間近に迫っており、両陛下は深くお心をお痛めであると聞く。残念ながら、現在の大方の日本人は、御皇室が明日なくなっても何とも思わない人達で占められているだろう。だからこそ、御皇室の尊さを知り、尊崇する私達こそがしっかりしなくてはならない。

 昨年、西尾先生はこういった時代背景の中「皇太子さまへの御忠言」をお書きになり、問題提起された。雑誌で読み、改めて単行本で読んで、問題の本質の深さを知った。国家喫緊の課題であるにも関わらず、このことが具体的な政治日程に上る見込みはない。今、我が国の政治は経済問題と政局にばかり足下をすくわれ、我が国悠久の歴史の連続性に対する危機感は皆無である。

 現在、御皇室の御慶事を国民こぞってお祝いするという風土はなくなってしまった。否、何事によらず国民が共通の対象に対して熱狂するということは、大阪万博以来絶えて久しい。これが豊かさがもたらした成熟だというならばそれでも良い。今日を中心として、様々なメディアが、一瞬だけ両陛下のことを取り上げるであろう。そこでどんなに多くが語られたとしても、その多くは商売優先の営業政策であり、本心から両陛下を慶賀し、奉祝するものでもなければ、今ある危機を国民に伝える啓蒙の気持ちなど微塵もないことはいうまでもない。

 奇しくも、私の人生は両陛下のご成婚からの時間とほぼ一致している。そのことに深い意味はないが、そんな些細な偶然も誇らしく思っている。悠仁様が御誕生になった瞬間の、何とも晴れがましい気持ちを思い出す。自分の周りの空気から霧が晴れ上がるように、こころが洗われた瞬間であった。我が国を覆っている霧が晴れる日は来るであろうか。苦難の歴史を通して繋いできた天皇制度が、将来に渡って維持されるよう願ってやまない。もっともお心を痛めておられる両陛下が、何一つ御発言できないのであれば、問題を解決するのは、国民と政治の責任である。御高齢の両陛下が、一日も早く御安心なされる日が来ることを祈りたい。そして、両陛下がさらにさらに御聖寿を重ねられますことを何よりも願う。

         文:浅野 正美
posted by 坦々塾事務局大石朋子 at 19:21| Comment(3) | ゲストエッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
雅子妃殿下についてちょっと語らせてください。
雅子妃殿下と私には、ちょっとした縁があります。縁がありますと言っても現在の話ではなく、大昔の話です。
雅子妃殿下の祖先と私の祖先は、同じ藩主に使えた下級武士です。同じ下級武士と言っても、雅子妃殿下の祖先は剣道指南役という役職がついておりますが、私の祖先は、その他大勢の下級武士です。

藩主は現在新潟県、村上市の地名になっている村上藩主です。村上藩は江戸期五万石の小大名です。村上藩などあめり知られていないので、ここで少し宣伝させてください。村上藩は、慶長年代、今大河ドラマになっている上杉景勝の時代に誕生した藩です。
幕末、村上藩は奥羽列藩同盟に参加。しかし他の藩と同じように、恭順派と抗戦派に分かれ藩内分裂。その心労のため藩主内藤信民は自殺。
藩内分裂したまま抗戦派の家老、鳥居三十郎が後を継ぎました。鳥居は抗戦派武士200名あまりを率いて庄内藩に合流。
恭順派は城内にのこりました。新政府軍は村上城に無血入城、一緒に鳥居三十郎討伐に向かいます。

三十郎は捕まり、戦後江戸へ護送されます。三十郎は、一切の責任を自分が負い、村上城の安泰と抗戦派武士の生き残りの 助命を嘆願。望みが許されて切腹。この時三十郎は、弱冠27歳。三歳の娘と妻を残しています。村上城はとりつぶしを逃れ、藩主は村上県知事になり、後新潟県に吸収されていった。

雅子妃殿下が皇太子殿下との結婚をした時、先祖が村上藩の家臣と知りました。私はその時一気に雅子妃殿下に親近感を感じました。
村上市のちょうちん行列に参加したいくらいでした。以来雅子妃殿下がテレビに現れる度に目をかがやかして見ていたものです。

それが最近、雅子妃殿下自身もお気づきかと思いますが。巷間よからぬ情報が入ってきます。雅子妃殿下もめったにテレビに現れません。
たまにテレビに現れる雅子妃殿下を見るとき、私はさびしい気分になります。どうか雅子妃殿下におかれましては、一日も早い病状の回復、そして皇室のため、国民のため元気はつらつとして公務に励むお姿を、私たち国民にお見せいただけることを期待しております。
Posted by 村上の主 at 2009年04月11日 14:44
川原さまのコメントの場所が違っていましたので移動させていただきました。事務局


浅野正美様 初めまして兵庫県の川原と申します。貴方様の坦々塾での感想文を拝読致しました。西尾先生に対する兼ねてからの私の思いと全く同じであり、そういう方が居られると言うことに喜びを感じると共に、意を強くしております。以前より先生の言論人としてのご活躍とその信頼度は、私の中では他の方達を凌駕する絶大なものがあります。先生のことは知る人は知っていますが、周知の通り敵の方が多いのが現状です。先生も決して若くはないお年と拝察されますので、1人でも多く先生の味方となり、先生の援護射撃者となれるように、また先生が築き上げてこられた歴史観とご思想が受け継がれてゆくように願う一人として、私は私の出来ることを行ってゆきたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。今回のご感想を読んで改めて初心に帰る機会を持つことが出来ありがとうございました。このブログ開設がその礎になることを切に願っております
Posted by 川原光雄さま (事務局移動) at 2009年04月12日 12:36

川原光雄さま

はじめまして

 遠いところからコメントありがとうございます。ブログだと遠くても直ぐに反応できて嬉しいです。

 浅野さんが川原さまのコメントを読んで喜ばれていました。

 これからもよろしくお願い申し上げます。

           亀戸天神

 
Posted by 坦々塾事務局 at 2009年04月12日 15:44
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