2011年01月18日

14日付のコメントに補足 等々力孝一



   14日付、小生のコメントに補足します。
      坦々塾会員 等々力 孝一

 「変節」の語が適切か否かに拘る気はありません。

 小生が、福田恒存は「分かっていなかった」或いは「見失った」という意味は、いわば、日米相戦わざるを得ない宿命にあったことを、理解できなかったのではないだろうか、ということです。その結果として、敗戦後、軍人が批判される中で、「無謀」な戦争を開始した軍人に、責任の全てが帰せられることに、疑いの目を向けることに想到し得なかったのではないか。

 また、戦時中の軍による言論統制の過酷さが、文学者にとっては、軍に対する否定的評価になる要因として、無視し得ないでしょう。

 一方、どのように無謀な戦争であったとしても、一旦戦火が開かれた以上、国家のために戦うのは当然とする立場に、揺らぎはなかったことは言うまでもないと思います。

 開戦当時、指導層、軍人、知識人の全てが、この戦争を歴史的宿命と受け止めていたとは言えません。吉田茂を代表とする、「英米派」は、当然戦争は避けられる、と考えていた。国際情勢に対して開明的な認識は持っていたが、米英の「悪意」を見抜いていなかったと思う。それが、戦後の吉田政治にも引き継がれたと小生は考えています。(吉田は、徒に英米を美化していたわけでなく、特に米国に対して批判的であったことは疑えませんが。)


posted by 坦々塾事務局大石朋子 at 16:46| 東京 ☀| Comment(0) | 寄せられたコメントより | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月15日

石原さんへ、もう一言 池田俊二


石原さんへ、もう一言  

    坦々塾会員 池田俊二

度々すみません。福田・西尾の關係について、一言だけ附け加へさせて下さい。

 私は石原さんと違つて、特に若かりし頃は、福田恆存の「熱烈な支持者」で、自分の言動の全ての基準を福田においてゐました。何年、さういふ状態が續いたか知りませんが、生意氣にも、「福田は勿論結構だが、いつまでも福田だけでは淋しい。もつと若い層に、福田のやうに氣の利いた者はゐないのか」などと思ひ始めました。

 その後、『新潮』で、西尾先生の「雙面神脱退の記」といふ見開き2ページの短文に接しました。昭和36年のことですが、私には電撃的ショックでした。なんといふシャープな論理! なんと毅然たる態度! 何と反進歩主義的! 若い奴にも、こんな立派なのがゐるのだ。こいつこそ福田恆存の後繼ぎだと武者奮ひを感じました。

 一時にせよ、西尾先生は福田の弟子でいらしたのですから、以上の我が感想が全て的外れとは決して思ひません。また、兩者の思想の類似點はいくらでも、あげることが出來ます。

 けれども、平成14年に、福田恆存をテーマに、先生と私との對談本を出す話(この話、未だ實現せず)があつた際、私が脚本で、「福田の後繼ぎ」と書いたことを先生に叱られました。「僕は後繼ぎなんかぢやない」と。

 爾來、福田の思想を先生がどう繼いだか、どう繼がなかつたか、何度も先生と話しました。「自分は福田の弟子ではない」といふ文章も何度か頂きました。私としては、そこのところは、基本的には理解してゐるつもりです。

 ですから、必要とあれば、そこをかなり論じられるつもりです。微妙といへば微妙ですが、截然としてゐるとも言へます。もしも將來その必要が生じた時には、是非しやしやり出たいと思つてゐます。

posted by 坦々塾事務局大石朋子 at 19:07| 東京 ☁| Comment(0) | 寄せられたコメントより | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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