2010年03月01日

日米関係K 浜田 實


日米関係K 和佐隆弘氏 聞き書きメモ

 ……無政府主義国家観VS政府・法治国家主義……

     坦々塾会員  浜田 實

 和佐氏は日頃から「一週間合宿して100時間いただかないと誤解される。経済敗戦不可避(16年前、’94年のこと)・・・」と言われる。なるほど、天動説が常識(=まよい、転倒妄想)の社会において、地動説を唱えれば、たしかに危険思想と排除されるのも理解できる。しかし、結局はガリレオ・ガリレイの地動説は、彼の孤独の闘いではあったが、最後は教会権力に勝って、その後、地動説が常識となった。しかし、天動説の時代にあっては、そのときの知識人もその束縛から脱し得ないできたことも確かである。「問い」を忘れ、文明的分析を無視すると、人間はマモンの奴隷にされ、国民を誤った方向に誘導し、国益を損ねることになる。その知識人のすがたは、保守、革新を問わず、現代においても変わらない。これからの時代は、保守VS革新ではなく、無政府主義国家観VS政府・法治国家主義 という枠で対立軸を見たほうがいいのではないか。無政府主義国家とは、文明のルールに外れた政府を云う。

 和佐氏が訴える土地持ちと土地を持たざる者との経済差別は確かに「国家による経済人権の人種差別」と言えるのではないだろうか。天動説は歴史が教えるように、科挙が唱えてきた迷妄の産物であり、法の下の平等による法の支配の近代国家の敵である。
子供はオヤジの庇護で育つ。しかしいつまでもそのままではない。いつしかオヤジの庇護(モラトリアム)を離れ、賃金をもらい、家庭を築くことで、自己責任を持った社会人となる。

 我が国は1989年のソ連帝国崩壊後、10年間、アメリカの日本を観る目が変わったことに気付かなかった。これが今日の不幸に繋がる。1971年8月15日のニクソンショックについて、それは日本の過去における「一国二制度」の終焉であったが、その後も同制度から脱皮しないままにきた。その後我が国は円切り上げ、オイルショックを乗りこえてきたが、アメリカにおけるドル危機の深刻さを忘れてはいけない。当時のドル危機とは、自由貿易体制の危機であり、同時にアメリカの危機であった。つまり世界経済を動かす基軸通貨ドルの危機であり、混乱であった。それがその後、リーマンショック、サブプライム・・にも繋がっている。日米問題とは円がドルよりも優位に立ったということである。そのとき、ドイツは自由主義国の一員として、きちんと対応できた。ドイツは即座に変動相場制に対応し、国家運営を新たなパラダイム転換に合わせたのである。しかし日本はどうか。
 日本は1971年8月15日から「12日間」、市場を世界で一人聞き続け、値下がり必死のドルを売り浴びせられた。その意味は、当時マスコミがきちんと報道しなかったが、変動相場制で、事業の性格上、長期回収を免れない造船企業を潰さないように、国家が目減り分を税金で肩代わりしたのである。しかもそれが、3年間にわたって、延払いを認めて、受注していたのである。いわばダンピングであった。
 資本主義社会は本来アニュアルレポートというように、決算は1年単位である。国家経営も先食いであってはならない。1年決済できないやり方は、日本型経営であり、日本株式会社そのものである。自主廃業に追い込まれた山一證券のトバシ≠ェ日本の国際競争力を演出していた。経営者はこういうことが分かるが、それを学者、ジャーナリストが分からないところに日本の大きな不幸がある。天動説を、科挙試験を潜り抜けてきた科挙が仕切っているのである。それは神話の世界である。
 資本主義経済は何度も言うが国家や会社の決算の原則、@時価価格 A変動相場制であり、「相場は相場で聞け」が原則である。1971年8月15日以降、今までの考え方は不要となった。資源の最適配分を市場機能に委ねるのが、市場原理のポイントであったが、それを日本政府が実行してこなかった。そのツケが日本政府に突きつけられたスーパー301条という刃であった。
 ビッグバンの時、400兆円の誤魔化しで(組織的脱税)、国家財政の破綻を加速させてまで企業のエゴを許したのは、戦前の財閥支配の復活であり、日本の経済侵略主義の体質をアメリカは覚えている。
 橋本政権による消費税アップ→BIS規制→株価低下→自己資金化(8%)促進→銀行の貸しはがし→土地価格の再評価誤魔化し(資本繰り入れ、脱税)・・・→経団連傘下企業(製造業)も悪乗り→税金泥棒の肥大化→(アメリカの日本日本認識・・・)・・・

 フリーメーソンが一番重要視する学問は天文学、数学、音楽(芸術)である。天文学がないと「科挙」になる。
 彼らは天地創造の歴史から、この世の始まりを見る。初めに言葉あり・・・アダムとイブの物語・・・知恵の木の実を食してエデンの園を追放・・・エジプトで奴隷状態・・出エジプトも、荒野に放り出され・・・旧教の、モーゼがヤハウェの神より「十戒」を授けられる。
 このエジプトの奴隷体験のユダヤ・キリスト教の世界支配の歴史が、まさに「科挙」を誇っていた中国のアヘン戦争の奴隷化とつながる。リンカーンの奴隷解放も、こういう物語と繋がっている。
松下幸之助がなぜ経営塾で「自習自得」を勧めたのか。それは、知識人に騙されて「知的奴隷」になるなということであった。言い換えればデカルトをやりなさい。疑って疑って、自分で解を求めよということであった。PHPの江口氏はかつて松下幸之助の弟子であった。しかし彼はいつの間にか「和魂洋才」に鞍替えした。間違えてならないことは、松下幸之助は「洋魂洋才」を提唱したのである。結局、江口氏は松下幸之助を裏切ってPHPを乗っ取ったということになる。日本のユダに成り下がったといえば分かりやすい。
 なぜ?といえば、そのほうが、本も売れるからである。そういうユダを育てるのも「日経新聞」である。日経こそが「逆啓蒙」をしているから、日本が救われない。記者クラブで、ジャーナリストの魂を抜かれて、本物の記事を書ける筈がない。レクチャー頼みの記者クラブで、官僚にとっての不都合な情報に抵触しない内容で報道にこれ努めているだけ。
 国民、読者を幼稚化することに加担している。国民、読者を「情報奴隷化」する先兵となっている。これは記者個人というよりも、新聞社の「不都合な構造問題」といったほうが適当であろう。羽仁五郎が日刊新聞法に反対したわけである。

 ホッブスの『リヴァイアサン』には「自然の法」「自然の神の法」が書かれている。それがアメリカの独立宣言の下地になっている。我が国社会もこういう考え方が上部構造にあるようにパラダイムシフトされるべきだが、現実は「科挙」が上部構造にあるため、すべては「too late」となって「国益」が損なわれているという由々しき問題がある。
アメリカという国は、トマス・モアがいうところの資本主義先進国家である。「ユートピア国家」である。それがホッブスの時代にイギリスが「イギリス アズ ナンバー1」のとき、国民の税金(1/10税)をローマ教会に払っていた(収奪されていた)のを、イギリス国教会に取り戻した。これもイギリスにおける「独立革命」であった。今風にいえば、差し詰め「コンクリートから人へ、そして中央より地方自治に」ということになろうか。昔はセントピエトロ寺院の建立のためとか称して、国民の税金が大量に使われた。日本の公共投資中心のコンクリート行政と似ている。そういうことがあちらでもあった。

 『リヴァイアサン』の第四部は、国家支配のことが中心に書かれている。しかし、明治16年から昭和41年まで封印されてきた「第一部」(人間とは何か)を抜きにして、ホッブスの云わんとする本旨は分からない。ホッブスはプラトンの再来とも云われているように、『国家論』(プラトン)と『リヴァイサン』は1セットで読まれるべきものである。アメリカがまさにリヴァイサン国家そのものということは、彼らの社会システム、憲法、法律大系がまさしくホッブスの考え方そのものであるから、いちいちリヴァイサンがどうのこうの定義しなくとも、それは彼らの意識に血肉となってあらわれている。日米間の深刻かつプリミティブな政治、経済摩擦の原因は、一にもニにも、このギャップにあるといえるが、日本の政治家も官僚もアメリカを知らなすぎる。それも「特権」を有するエリート層が分からないから、日本は救いようがない。

posted by 坦々塾事務局大石朋子 at 06:47| Comment(0) | ゲストエッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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