2010年02月20日

日米関係E 浜田 實


  日米関係E 和佐隆弘氏の論 聞き書きメモ

    坦々塾会員   浜田 實

 ビッグバンのとき、橋本内閣の官房長官であり、小渕内閣の通産大臣であった与謝野馨氏が、日本政府の「ボタンの掛け違え」をした。これもジャーナリストは報道しないが(官との癒着)、「大罪」というべきである。この点で、いまさら与謝野氏が予算委員会で鳩山首相に15億円の脱税訴求などできる資格はない。(鳩山首相の嘘発言と脱税を許せないのはもちろんだが、脱税を見逃してきた国税庁当局の不作為も批判されなければならない。しかし官の奴隷化した学者、ジャ−ナリストたちは批判しない。ウォルフレンが批判したことは、戦時中の大本営発表=Aこういう構造のことであった。

 戦後の日本は吉田首相の下、経済特化の政策をとり、そのため国民は徹底してエコノミックアニマルと化した。その挙句の果ては、土地の固定資産税を必要以上に軽減してきたことで、笠信太郎がいう「花見酒経済」を謳歌してきたのが日本であった。考えてみれば、国防費も国家として応分の負担もせず、ひたすら金儲けに驀進してきた日本の迂闊と悲哀の出発点であった。特に地方税である固定資産税の問題は酷い。本来企業、土地持ちが払うべき額の1/7から1/10に抑えてきた自治省の罪は大きい。その結果、いい思いをしてきたのが大企業であり、土地持ちである。当時の大口納税者一覧を見れば、一目瞭然である。ちゃっかり、大企業と土地持ちが唸るほどボロ儲けしていたことが分かる。個人の高額納税者の上位が土地持ちの名前で占められていたことをご記憶であろうか。
 これにより、企業間格差、土地を持つ人と持たざる人との所得格差が生じたことも事実である。これも「国益」を忘れた自治省官僚の不作為である。

 これを日米間の通商問題で考えれば、日本企業は外国に対し、国を挙げて「不公正競争」をしてきたことになる。ヴェトナム戦争で経済疲労してきたアメリカの立場になって考えてみれば、彼らの怒りを含む複雑な感情を理解できるだろう。これはヴェトナム戦争の是非を問うのではない。
 このように、アメリカは日本の「不公正競争」の一部始終をよく知っているのである。戦前のソーシャルダンピングの歴史を覚えている。

 ロッキード事件で田中角栄首相は特捜から有罪と判定された。戦後の刑事訴訟法ではコーチャン、クラッターらの証言が無効とされたのに・・・・。田中が死亡したあとで無効と認めても遅い。田中の罪は明らかに「冤罪」であった。
 このことを渡部昇一氏は知っており、マスコミで紹介したが、当の専門家は一人としてそのことを書かなかった。つまり国策捜査だった。
この国策判決を行ったのが「科挙」の試験をくぐってきた人たちだった。それはイコール、戦前の大本営、国家総動員法に準ずるものであった。戦前はアメリカとの「正義の戦い」という名目があったが、戦後のそれは、名目もヘチマもなく、戦前よりはるかにお粗末であった。

 日本のバブルは異常であった。そういうことが分からないとすれば文明人とは言えない。福沢諭吉の「文明論之概略」を通してみれば、文明人とは、@リーゾナブル Aアカウンタブル Bオーソライズ の分かる人をいう。時価、会計主義はその象徴である。
 オーソライズとは、ガバナブル、即ち 統治力のある人のことである。日本は昔も今も外国から異端と見られているのである。文明とは civilize 即ち 行動、努力を伴うものでもある。2400年前にプラトンが、究極的には政治家を哲学者にしなければ、人類は禍を免れないといった言葉を噛み締めるべきである。

 文明の観点から国家を見れば、少なくともアメリカは まぎれもない経済文明国家(=法治国家)なのである。その一方でイザとなれば原爆を落とす国でもある。
 アメリカは好きだ、嫌いだ、陰謀国家だ・・・・などという語りでアメリカを見るのは止めるべきである。文明はリアリティを見る必要がある。

                                                                           (続く)
posted by 坦々塾事務局大石朋子 at 04:00| Comment(0) | ゲストエッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月19日

日米関係D 浜田 實


  日米関係D 和佐隆弘氏の論 聞き書きメモ
   
      坦々塾会員   浜田 實

 話は戻り、89年5月25日はスーパー301条が適用された年、中曽根がリクルート事件で喚問された、また松下幸之助社葬の日であった。ニクソンショック以降、土地の時価評価を拒み続けてきたツケが一気にきた。日本はブレジンスキーが1972年、『ひよわな花 日本』で我が国に託したメッセージを理解できなかったのである。
 私は1972年、すでにこのことを日経ビジネスで書いていた。それから1992年、宮澤内閣における株式暴落までの20年間、日本政府は重大な日米問題を見過ごしてきたのである。冷戦下、アメリカがベトナム戦争やドル危機で弱りきっていたとき、日本はアメリカの要請<日本よ、助けてくれ>を無視し続けてきたのである。『ひよわな花日本』は、アメリカに弓を引いてきた日本に警告を発したのである。

 その前の安保条約改定(1960年)以来、日本の国家の経営は皆が間違っていた。私は高校3年生のとき、アメリカの独立宣言の文章を目にしたとき以来、人間は決して譲れない天賦の人権、権利というものがあるということも分かった。しかし今の日本人は、経済人権ひとつにしても、初めから譲り渡している。アメリカという国の行く末が概ね分かるようになっていた。高校の英語弁論大会で・・・・・・・・・の文章を空暗記で引用したときから、私とアメリカとの関係はすでにできていた。中学2年の私のショックは、マッカーサーが言った<日本人12歳論>であった。高校生なりに私は日本人として情けない気持ちになり、同時にその意味を知りたい気持ちになった。そのときから、私の意識は並の高校生でなくなっていた。
 今思えば不思議なめぐり合わせとしか思えない。それ以来、私のアメリカ観察は全部正しいとは言わないが、取材先の大人たちの殆どが誤解していることは、ほぼ間違いなかったと断言できる。
 
 日経ビジネスにいたときから、政治家、官僚、エコノミストたちの言うことが皆間違っていることも分かっていた。ボタンの掛け違えと言えることも。
 ブレジンスキーの考え方と私の考え方も同じだった。日本人は彼をアメリカ人と思い込んでいるが、それは正しくない。彼の経歴からすれば、彼はポーランド人、あるいはポーランド系アメリカ人というべきだろう。キッシンジャーにしても然り。彼はアメリカ人である前に、ユダヤ系ドイツ人であった。パールハーバーによる日米戦争のおかげで軍の経理学校で簿記を学び、軍役にもついた(戦後のドイツで占領行政を体験)。彼の資本主義を見る目はそのときに培われた。まさに矛盾の人生を生きてきたのがキッシンジャーであり、ブレジンスキーであった。しかし、日本の進歩的文化人(=非文明人)たちは、彼らをそう見ずに、単なるアメリカ人エリートで、日本イジメをしているとしか見ない(見えない)。キッシンジャーがなぜ毛沢東と肝胆相照らすかたちで会談できたのか? 進歩的文化人はその理由が分からない。したがって、未だに米中接近の背景を理解できないでいる。今日における米中接近の表を裏を性格に見抜けないのも、その延長である。
 キッシンジャーと毛沢東が経験してきた「人生の矛盾」に思いが至らないと、その意味は分からない。この人生とは、アメリカと中国の歴史でもあるからだ。

 日本の迂闊は、アメリカの周りに日本がいたことを忘れ、逆に日本の周りにアメリカがいると錯覚して、金儲けに奔走してきたのである。アメリカは第二次大戦後、世界の覇権を手に入れた。日本はそのアメリカに戦争で負けて、日本の鎖国を解放され、アメリカの庇護の下、金儲けに奔走できたのである。冷戦下のアメリカは、我が国を同盟国の誼で日本の対応を大目にみてきたが、それはあくまで1989年までのことだ。日本はそのアメリカなりの「苦衷」を理解できないまま、あるいは無視したかたちで、アメリカの顔に泥を塗ってきたのである。アメリカはそのことをよく知っている。知らないのは政・官・財の日本のエリート層だけだ。
 1989年以降、アメリカは日本を経済の敵と明確に認識を変えたのである。『ひよわな花日本』を理解できないツケである。そういうことを指摘する知識人、学者がマスメディアに登場できないことが日本の最大の病弊である。
                                                                      (続く)
posted by 坦々塾事務局大石朋子 at 02:00| Comment(0) | ゲストエッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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