2009年12月10日

「保守の怒り」読後感 小川 揚司

                          
       「保守の怒り」読後感

             坦々塾会員 小川揚司


 「思想家とは、自分自身をも含めてその時代に対する、また来るべき時代のための裁断者(Richter)たるとともに、戦士(Kam-pfer)としての任務を進んで引き受けたもの、否むしろ否応なくそれを受諾せしめられたもののことに他ならない」と、或るニーチェ研究の碩学がニーチェその人に即して語った辞(こと)立(だて)が、満腔の昂揚と激しい衝撃が交差する私の脳裏に閃現した。現下、文字通り国家の崩壊と精神の衰亡の危殆に瀕する吾が国の、その現実の諸相からその根底の本質に至るまで縦横自在、傍若無人に語り尽くしたこの二人の人物は何者であろうと瞠目し、読み終えたこの書籍をあらためて凝視したときのことである。

 紛れも無くこの二人は本物の思想家であり、その強靭な思想批判力は天与の才に相違ないと思われる。殊に、平田文昭氏は、その独創的な洞察、着実な検証、冷徹な分析、そして端切な表現により、戦後の昭和・平成の御世を大胆に裁断するのみならず、戦前・明治から遥か建国の太古に至るまで確固として論ずる力量を持ち、対峙する者をして有無を言わさぬ論理(ことわり)と覇気に横溢しており、相手が巨人・西尾幹二先生でなかったら対談は形にならなかったのではないか、とすら思われた。兎にも角にも物凄い男が吾々の直ぐ傍に居たものだと只管に驚いている、と云うのが正直な所感である。

 さて、対談の中で私が最も注目するのは、平田氏の天皇観である。
 私も、吾が国の古代伝承(ミュトス)であり民族固有の信仰である神道に依拠する天皇の御存在、古い歴史を持つ吾が国をしろしめす天皇の御存在と云うものを、自分自身の人生観、日本民族の一人としての世界観の中心に置いて生きてきた。その私の天皇観と平田氏の天皇観は歴史的認識においては極めて相似しているように思われる。いや極めて大きな啓導を受けたところである。尊皇なるが故に御歴代の生身の天皇に対し時により厳しくお諌めるするのが忠臣の道であり、現にそのような忠臣は歴史の髄に連綿として実在した。(西尾先生もそのお一人であり、現代の藤原藤房卿に相違ないと密かに想うところである。)

 勿論、平田氏の徹底した論理(ことわり)に強烈な違和感を痛感するところもある。
今上と皇后様に対する想いの半ばである。それについては、平田氏と今後十二分に議論を深めて行きたいと切望するところであるが、先ずはその切り口について微言しておきたい。
吾が国の古語に「理(ことわり)必ず時にしたがう」と云う理(ことわり)がある。たとえ上御一人に坐そうと憂き世においてこれを超越せられることは叶わぬのではなかろうか。また、お釈迦様は因縁果報と云うことを仰ったが、因果律(因果関係)と云う横糸を徹底的に手繰る(突き詰める)だけでは不都合であり、次元律と云う縦糸をも併せ織り成す(思いを致す)必要があるのではないだろうか。そして、強靭な思想批判力には、麗しく透徹した芸術的直観力の裏打ちがなければ、潤いのないものに、次元の高みに感応道交するものとは成り得ないのではないか、と云うことである。

 さは然りながら、平田氏の凛として端然としたこの辞(こと)立(だて)は実に見事なものであり、それは取りも直さず祖国と歴史への純粋で深い愛情に裏打ちされたものに相違ないと、私も想うところである。平田氏を見出され啓導せられた西尾先生、そして平田氏のような真の偉丈夫・本物の思想家とともに、親しく学ぶことができ行動できることを心底欣快にそして幸甚に思うものである。



   
posted by 坦々塾事務局大石朋子 at 22:22| Comment(0) | 読書感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「保守の怒り」を読んで 鈴木 敏明


     「保守の怒り」を読んで

        坦々塾会員 鈴木 敏明


 私は、現在の日本及び日本人にほとんど絶望しかけております。日本の復活に最後のわらをも掴むような思いで、例え微力でも日本のためにお役に立とうとデモやその他の保守の活動に参加しております。そのような精神状態でこの本を読んだ時、私はさらなる絶望感にかられました。人がほとんど絶望している時、さらに絶望感を煽られると逆に怒りを感じる人もいるでしょう。まさに私がその状態です。まさに本の題名どおり、私の心は、「保守の怒り」そのものです。

 私が絶望感に煽られた理由は、二つあります。一つは今生陛下の政治的発言であり、二つ目は、保守の実態です。その二つについて私の意見を書いてみました。

1.今上陛下の政治的発言。

 ご成婚50年を迎えられて、2009年4月8日に天皇皇后両陛下が記者会見しました。その時陛下はこう言ったというのです。(前半略)「象徴とはどうあるべきかということはいつも私の念頭を離れず、その望ましい在り方を求めて今日に至っています。なお大日本帝国憲法下の天皇の在り方と日本国憲法下の天皇の在り方を比べれば、日本国憲法下の天皇のあり方の方が天皇の長い歴史で見た場合、伝統的な天皇のあり方に沿うものと思います。」

 私は、この本を読むまで今上陛下がこのような発言をしていたと全く知りませんでした。私は保守の多くの人たちは、あるいは左翼も知らない方が多いのではないでしょうか。なぜなら天皇陛下や皇太子殿下の記者会見などいつもありきたりな発言しかしないし、ましてや政治的発言などほとんどしないからです。そのためことさら耳をそばだてて記者会見を聞くなどしないと思うからです。それにしても今上陛下の発言は、非常に政治的な発言です。陛下は現行憲法を好んでおられることが明白です。左翼は憲法改正反対にこの発言を利用してくることは間違いありません。

 私は、現行憲法をどうするかに関しては、第三志望までありました。第一志望が現行憲法破棄、新憲法作成、第二志望は、明治憲法を復活し、現状にあわせて改正、第三志望は、現行憲法改正。第三志望の現行憲法改正が一番現実的な選択かなと思っていました。ところが陛下の発言で、第一志望と第二志望が消えた。あとは陛下を説得して憲法を改正するしか方法はありません。誰が陛下を説得し、また納得させることができるのでしょうか。不思議なことに選挙大敗後、憲法改正の話がまったく出てきません、また陛下のこの発言に関して保守陣営は大騒ぎをしておりません。ひょっとして憲法を改正しないのが、陛下の考え、すなわち「大御心」(おおみごころ)なのだと決まっているのではないか。日本の保守の中には、陛下の「大恩心」(おおみごころ)と言ったら、「いや陛下それは違います」と言えない人が沢山います。私は先週自分のブログに書きましたが、憲法も改正もせず、自虐史観でむりやり国論を統一しても、日本の復活はありません。自滅するだけです。

2.保守の実態

 私は定年前に政治活動などに関わったことはありません。私は61歳で定年になりました。定年後6年間かけて「大東亜戦争は、アメリカが悪い」書きました。その6年間は、自宅と図書館にこもりっきりです。本完成後、本を少しでも売らなければなりません。私の知人がたまたま「日本世論の会」の会員でした。「鈴木さん、この会員になって本を売ったら」という彼の紹介で「日本世論の会、神奈川支部」の会員になりました。これがきっかけにしいくつかの保守の会員になったり、退会したり、他の会員なったりして丁度4年になります。その4年の間に西尾先生からこの坦々塾に招かれて会員になったことは最高の幸運でした。

 このようにこの4年間に保守の実態があまりわからず、皆さんご存知の「主権を回復する会」のデモにはちょくちょく参加していました。私は保守の活動で一番不足しているのが大量のデモ動員です。「主権を回復する会」が主催するデモでは、動員力があまりにも少ない。そこで私は、日本会議の会員である人と私の意見に同調する人、三人で、日本会議の東京事務所に訪れ、「日本会議は、保守で一番大きい組織だし、全組織を動員するようなデモを開いてくれと要請したことありました。あっさり断れました。なぜ断られたか、この本でよくわかりました。私はこれまで日本会議の実態など全く知りませんでした。日本会議の実態を知らなかったのは私だけでなく、会員自身でさえ知らないのが多いのではないでしょうか。

 保守の実態でもう一つ知らなかったのは、雅子妃殿下のことでわかったのですが、皇室についての批判は一切しないし、批判する人を非難する人がけっこう沢山いるということです。私にはまったく理解できません。天皇陛下を批判や非難したりしてはいけないと言ったら、ソ連のスターリンや北朝鮮の金正日と同じではないですか。それを考えると、この本で語られている平田文昭氏の今上陛下へ痛烈な批判は、ほばお同感できますし、実に大胆で勇気ある発言と感服してしまいます。

 このように保守には、カルト的保守もいれば、天皇陛下がおられるだけでありがたい存在だから陛下を批判、非難の対象にするのは不届き者である考える保守もけっこう多い。それでは我々のような真正保守は、どう行動すればよいのか、私の提案を当日の勉強会で発表したいと考えております。

         鈴木敏明

posted by 坦々塾事務局大石朋子 at 21:38| Comment(0) | 読書感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

正面から読める人だけが読める本 伊藤悠可



 正面から読める人だけが読める本『保守の怒り』

         坦々塾会員 伊藤 悠可

 過日、『保守の怒り』が郵便箱に届いていたので、直ぐに先生に御礼の電話。二、三の短い会話をして「一日余裕があるので読了します」と伝えたところ、先生は「一日で読めるかなあ?」と仰言った。対談本なら眼を追うのは速いほうだから、何だろう。難解なのだろうか、とその夜は開けずに寝た。

 翌々日、他の用事は放っておいてこの本に一日をあてたのだが、眼では読めない本であった。寝ころんでは読めない対話だった。体をかわしたら平田文昭さんが脇差にも手をかけており、両刀差しの先生が後ろに控え腕組みしてこちらを見ているというような本であった。

 「保守というのは結局、こうあらねば」などといった暇な感想をそもそも二人はゆるしていないし、第一これは「保守よ目覚めよ」といった保守のために蒙をひらくご親切本ではない。むしろ、“真正”だとか“正統”だとか“本家”だとか好きなように御託を並べてやってきた自称保守と心情保守のすべてに向けられた二人の刃のようだ。下手に近寄ったら致命傷を負うことになるから、つらいかもしれないが正面から読める人だけ読みなさいと薦められる最近では遇ったことのない重く危険な本である。

 進んでは立ち止まり心臓が高鳴って眼を澄ませて、やはり一日では終わらなかった。
posted by 坦々塾事務局大石朋子 at 16:42| Comment(4) | 読書感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「保守の怒り」を読んで 小池 広行



     「保守の怒り」を読んで

          坦々塾 会員 小池 広行

 一昨日読了しました。
もし、平昨年7月の坦々塾での平田さんの講演を聞き逃していたなら、ある意味(本書における途切れることのない主張に対して)懐疑的になっていたかもしれないなぁ〜とも思いました。坦々塾でお会いできて良かった!!それにしても平田さんの読書、調査、行動、その分析力に敬服します。すごい!これが読了後の私の第一声です。

 渡辺望さんの仰るとおり、西尾先生とのガッチリと歯車が噛合った議論は(先生があとがきで述べられていますが)『保守への怒り』という本書の題名にふさわしいものと思いました。そして、お二人の議論はまさに日本が今衰亡の危機を陥っているにもかかわらず、「娑婆から逃げ出し」保守を自称する政治家、言論界そして厄介なカルト的偽装団体、国体護持をなにも考えないお馬鹿さんたち、、彼らへの怠惰の『怒り』そのものと思います。

 以下 感想を述べます。

(P122)から始まる先生のご発言
 「あの戦争は正義だったという自己確信がないからこそ逃げ口や間違いや弁解が発生するので、陛下は正義と思っていたから戦争の責任を逃げておられないんですよ」(P123)「〜(略)昭和22年5月3日までは統帥権は天皇にあった。確かに今は軍隊はありませんから統帥権はありませんけどこれから軍隊をつくるということは正式にちゃんとやるということですから(略)そしてあの戦争がなんであり、陛下があのときどういう役割を果たされたのかということをなぜ正面から議論しないのか、それが私には不思議なんですよ」

天皇の「戦争責任」とは〜(P127)〜

どのような憲法に改正されようとしているのだろうか〜(P144)

1.なぜ、日本国憲法の検証を行わないのか

 日本国憲法はGHQのニューディラー、ユダヤ人チャールズ・ケーディーズ(GHQ民生局次長で日本国憲法の草案作りの実務責任者)によってわずか2週間ほどの短日でつくられたことは周知のとおりです。ワイマール憲法がベースになっているといわれていますが、このワイマール憲法が後のナチズムによるユダヤの悲劇に繋がります。(ドイツ人はこのワイマール憲法の虚構性を発見し引きずりおろしますが、日本国民は呪縛の中で呻吟しています)
ワイマール憲法は表面に出すことをタブーとされ、日本国憲法は改定を唱えることをタブーとされてきました。
 そして、ようやく憲法改定の議論が戦後60年以上も経って出てきている今日、憲法九条についての見直しは議論だけが先行しているように思えてなりません。日本国憲法の根本的な検証議論があってしかるべきと思うのです。

 西尾先生の日本国憲法 前文私案「日本の根本問題」にあります。シアターTVでも解説があります。ご覧になっていない皆さまは必見です。このあとに続く条文となるのであれば欽定憲法(もちろん現在語彙に変えて)のほうがマッチすると思います。(欽定憲法には日本固有の歴史感あり)

 「20〜30年先に予想される東アジア戦争に備えた布陣がなされていることを考えるとあんまり時間はないと思います。憲法も変え、自衛隊を国軍とし、戦争ができる国家に変成していくことを考えると。」〜(平田さんP259)
ま私は東アジアで近い将来、戦争が起こると思っています。まったく同じ思いです。
 このような状況を信じる私は憲法改正にはそんなに時間をかけられない、そして、そのときには(P126)天皇の「戦争責任」の議論が沸騰し、目を覚ますかもしれません。しかし、偽保守たちはフリーズしてしまうのでしょう、おそらく?
 そして、フリーズしたまま時間だけが過ぎていくのも残念ながら、今の日本です。(涙)
 そうすると(西尾先生P148)「京都の天皇」の提案もあるのかなぁ〜と思います。(先生もかなり飛ぶようですがと断っておられますが)これについて、私は反対です。

 最後に「陛下のお言葉」を尊重する空気に支配されたら憲法改正はできないでしょう。

2.自国の防衛を考えれば

(西尾先生P258)自国で武器を作らないとだめですよ。
 2006年青森県下北半島の付け根(地名はご勘弁)で勤務していた私は会社の友人と三沢基地で毎年開催される航空ショーに出かけました。友人は軍事マニアでしかも招待状を持っていたので、赤いリボンを胸につけてもらって(嬉しかった)いろいろと説明を聞くことができました。日本の支援機F−2aと米軍戦闘機F−15がそっくりなのでそのことを尋ねるとF−15の翼の技術と運転制御に関する一部パーツは三菱の技術が入っているとのことでした。
 Wikipediaで調べると確かにそのような記述があり、現在は編集がかわってありませんが日本の技術水準の高さは武器を作るにも十分と思います。

 三菱重工の首脳陣が「FS-X」の研究開発に懸ける意気込みは只ならぬものがあった。アメリカ側は三菱が「航空機産業というニュービジネスへの挑戦を目論んでいるため」という見方が専らであったが、三菱側の思惑は違ったという見方もある。戦前戦中と「零戦」や「武蔵」を生み出し、戦後の復興や高度経済成長を牽引してきた三菱は「日の丸戦闘機」が再び大空を舞うことを夢見ていたのではないか、というものである。三菱重工の社長・会長を歴任した飯田庸太郎は「防衛産業で日本のお役に立てなければ、三菱が存在する意味はない。儲かるからやる、儲からないからやらないではなく、もって生まれた宿命と思っている」と述べています。(F−2支援戦闘機Wikipediaから抜粋)

 以上、とりとめもない感想となりました。

       文責 小池 広行


posted by 坦々塾事務局大石朋子 at 14:56| Comment(0) | 読書感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「保守の怒り」感想 田中 敏



     『保守の怒り』についての感想

         坦々塾会員 田中  敏


 読み出して始めの部分では、西尾さんが単独で書かれてもよかったのではないかと思いましたが、155ページの「血と宗教」辺りから平田氏が生彩を放ちはじめその勢いは最後まで続き圧倒されました。

 西尾さん自身も「あとがき」で述べておられるように、価値観は同心円で重なりながら思いもかけぬ独創的な考えを縦横無尽に発展される平田氏との対話は誠に衝撃的で且つ説得力がありました。西尾さんにとっても十分に刺激的だったことは察するに余りあります。

 硬直した保守派の方が左翼よりも日本の存続のために遥かに危険な存在であることが全編を通じてよく解かりました。

 この対談は一人でも多くの人に読まれることを切望します。その意味において本著の題名は、西尾さんは「ふさわしい」と自負されておられますが、私には残念ながらこの有益な内容を窺わせ、一般の人たちを惹きつけるタイトルとは思えないのです。

 『保守の怒り』では、保守派が革新派に対して怒っているかのように一般には理解されるのではないでしょうか。しかし本著の意図するところは、本来の意味における保守派が硬直した所謂似非保守派に怒っているということではないのですか。私の誤解誤読であればよいのですが・・・。

                          田中 敏
posted by 坦々塾事務局大石朋子 at 13:29| Comment(0) | 読書感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「保守の怒り」感想 馬渕睦夫


    「保守の怒り」感想

        坦々塾会員 馬渕 睦夫


 第一章,第三章についてのコメントです。

 これまで思っていた保守が実は真の保守ではなく、戦後民主主義(東京裁判史観)の枠内での保守でしかなかったことは、昨年の田母神事件で明らかになってしまいましたが、この本はこれら親米保守の卑屈さを改めて白日の下にさらすことによって、日本社会に大きな衝撃を与えることになると思われます。田母神事件の新解釈(P100〜102)も説得力がありました。

 北朝鮮による日本人拉致が左右の協働犯罪であり、自民党(政府)が北朝鮮と構造的にぐるになっていたから拉致の真実は明かせないとの指摘(P66〜67)は衝撃を超えたものがあります。結局、戦後日本の政治家には「独立主権国家」と言う意識がないと言う事実が恐ろしいまでの迫力で語られています。全ての政治家に読ませたい本です。

 今後数々の非公開の資料が明らかになってゆき、太平洋戦争についても2045年には公開されることになると、世界は東京裁判の不正にやっと気づき、日本が見直される歴史の大きな転換がなされる可能性もあります。その時、日本人がどのような矜持を保持しているかが問われるでしょう。今こそ日本人として凛とした精神を取り戻し、来るべき世界の審判に備えておく必要がありそうです。

 その意味からも、日本善行主義だけでは歴史にならない、国家の統治は善も悪も含めて行われるもので、歴史は善悪を超えたところにあるとの指摘(p320〜323)には大変勇気付けられました。確かに悪はあったわけで、善行論では悪の事例を示されれば、そこで詰まってしまうことになり、有効な反論ができなくなるとの点は、腑に落ちました。

 最後に、我々の課題は(日本をアジアから排除すると言う)相手の土俵で戦うのではなく、土俵と言う舞台そのものを変えることだとの主張(p327)は、全く同感です。日本はこれから世界のパラダイムシフトを自ら主導して行くと言う戦略が必要となっていると強く感じました。
   以上です。

          馬渕睦夫
posted by 坦々塾事務局大石朋子 at 10:32| Comment(0) | 読書感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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