2009年12月08日

「保守の怒り」読後感 河内 隆彌



    「保守の怒り」読後感

        坦々塾会員 河内 隆彌

 読了しましたが、良い意味で大変に重たい内容で、まだ完全に消化しきれておりません。
 とくに平田氏は、普通人?の先の先の先まで考えておられ、「そういえば・・」「なるほど・・」等々、啓発される一書であること間違いありません。また、日ごろあまり実態に接することのないカルトの活動内容などには驚かされるばかりでした。

 さて、私は、「象徴天皇」の問題について、私なりにご本を読みながらいくつかの感想を持ちました。


1.「象徴」と「元首」

 「元首」と「主権」という言葉は、いずれも英語では「sovereign」となることもあって、現、日本国憲法は国民「主権」であるので、天皇は、象徴ではあっても元首ではない、という議論となり勝ちです。お二人とも、天皇陛下は「元首」であられることを認めておられます。象徴と元首は何も対立概念ではない、平田氏の「元首だからこそ象徴たりうる(p148)」のご意見は心強いものと思われました。

 いずれにせよ、国民に主権のある立憲君主制というのは、世にいくらでもあるのだろうと、(不勉強ですが)思います。要は、外からみれば、日本は紛れもなく普通の立憲君主国であり、「日本の天皇は象徴だから敬するに及ばず」と言った意見が海外にあるとは思われません。各国が、天皇を日本の元首と考えるのは当り前の話です。

 今年8月ころの日曜日、田原総一郎氏の皇室問題をテーマにした、サンデー・プロジェクトを見ていたら、コメンテーターの一人が、日本の天皇は、むかしから象徴だ、明治天皇は文明開化、昭和天皇は軍国主義、今上天皇は平和の象徴だ、と天皇陛下「時代の象徴」説を唱えていました。乱暴な議論ではあるけれど、こういった生半可な象徴論の影響の及ぼすところは怖いものがある、と思いました。


2.国民「統合」の象徴 

 ちなみに、ベルギーの国王は、仏語で「roi des Belges」(英語:King of the Belgians、ベルギー人たちの王)であり、この感覚は、日本の象徴天皇に近いような気がします。(ナポレオン一世、三世も「empereur des Français=Emperor of the French」、フランス皇帝ではなく、フランス人たちの皇帝でした。)

 現憲法も仔細にその第1条をみれば、天皇は日本「国」の象徴である、と同時に国民「統合」の象徴である、ここで大事なのは、単なる国民の象徴ではない、「統合」の象徴である、ということだと思います。これは、統合した、(日本人としてまとまった)すなわちアイデンティティを確立した、国民の象徴である、ということだと理解しています。まわりくどいですが、日本人は、象徴天皇を云々する前提として、日本人としてのアイデンティフィケーションが求められているのだと思います。その前提がなければ、単なる烏合の衆の象徴であり、前項の例のような、天皇は「時代の象徴」という発言になってしまうのではないでしょうか?残念ながら、アイデンティティ確立の教育は不充分であり、若者の「自分探し」の蔓延?は、アイデンティティ・フリーのかれらの悲鳴と聞えなくもありません。


3.天皇の可侵性

 大日本帝国憲法(明治憲法)第三条は、天皇の「神聖不可侵」を謳っていたにもかかわらず、その補則の改正条項によって、あっさりとその神聖性を侵されてしまいました。もちろん明治憲法の改正発議は勅書による、となっているので、天皇の同意なくして改正手続きはできないのですが、ポツダム宣言受諾以降、人間宣言を含めて、「時運の趨くところ」、必然の流れとして改正手続きがすすめられ、天皇は不可侵でなくなりました。八月革命説など諸説がありますが、現憲法は、明治憲法を改正したものとしての連続性があります。

 明治憲法は、「国体」を謳っていたつもりだったのでしょうが、それが西欧の近代法体系に即しているかぎり、改正条項で変えられる可能性があって、そういう意味で「国体」ははじめからvulnerableであったといえます。そしてそれがまさに起こったことであり、いまや「国体」という言葉はほとんど消滅しました。さらに、明治憲法にあっては議会決議の外にあった(第74条)皇室典範が、いまは、国会が決める法律のうちにあり(第2条)、これが皇室と国民の関係をもっとも変化させるポイントと考えられ、天皇ないし皇室の可侵性を倍加させました。先年の皇室典範改正問題にあたって、履き違えられた国民主権はいまや、皇室に属される方のご意見を「どうということはない」と一蹴するほど傲慢になりました。

 国民は現憲法で、思想、良心の自由を保障されているわけですから、「統合」というのは別に、同じ考えを持て、という意味でないことはもちろんです。ただ前述の繰り返しですが、日本人としてのアイデンティフィケーション(帰属意識)をきちんと持っていることが物事の大前提で、その意識があるかぎり、前項例のような不遜な言葉が発せられることはまずあり得ないと思われます。市民の主権、住民の主権、ましてや烏合の衆の主権ではないのですから、高次の品位ある判断で、国民は与えられた主権を行使すべきでしょう。またその際には、既に現憲法に用意されている、権利の濫用、公共の福祉(第12条)に留意すべきことは申すまでもないことです。

 本来望ましき皇室と国民の関係は、憲法改正して確立すべきなのでしょうが、さて、甲論乙駁を集約して新憲法ができあがるのに、どれだけ時間がかかるのでしょうか?私も、現憲法を充分とは思っておりませんが、現憲法の枠内においても、おろそかにされている論点が多々ありそうな気もしています。今回、ご本を読みながら、そんなところを逍遥していました。以上取りあえず読後感をしたためる次第です。

平成21年12月8日      河内 隆彌


posted by 坦々塾事務局大石朋子 at 19:27| Comment(0) | 読書感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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