2009年10月09日

地球温暖化・CO2そして原子力発電 その1 小池広行

 
  地球温暖化・CO2 そして原子力発電 その1

      坦々塾会員 小池 広行


  地球温暖化という先の見えない恐怖

 地球温暖化のメカニズムは、わかっているようでわかっていないことが多いのです。確かに、温室効果ガスが増えて、地球が温暖化するということは現在ではほぼ定説になっているのですが。

 (10/06)国際エネルギー機関(IEA)が発表した統計によると、ついに中国が米国を抜いて、世界最大のCO2排出国となったようです(中国が60億トンで全世界の21%、米国が58億トンで20%、ちなみに日本は12億トンで、ロシア、インドに次いで第5位。いずれも2007年の実績)。中国の排出量が多いのは勿論石炭を大量に使っているからで、発電の約80%が石炭火力発電。その石炭火力は2008年は約5割(前年比)も増加したことが背景にあります。
 *2007年世界全体のCO2排出量は約290億トン

 日本では民主党政権が成立すると鳩山首相が9月23日国連主催の気候変動サミットで日本国内で排出される約4%の25%削減(1995年比)を発表しました。注目度200%!!
その上で、本件が国内に与える影響(一世帯あたり年約36万円負担とか国内対策費用は190兆円必要とかGDPが3%押し下げられるとなど)は各紙が毎日のように報道しているとおりです。

 民主党政権のマニュフェストである温暖化ガス削減2005年比30%削減は国内にどれくらいの影響を与えるのか、そもそも現実的達成可能なのか?
これについては、エネルギー問題、特に原子力発電との関係を明確にした上で別途、詳述したいと思います。(太陽光、エコ製品(エコカー)などでは、とても無理な話です)
ここでは、以下の3つのポイントから話を進めていくこととします。
(1) 京都議定書の日本の選択(世界への公約)
(2) 地球温暖化の議論(CO2が地球温暖化の原因か)
(3) 民主党CO2 25%削減への提言


(1) 京都議定書の日本の選択(世界への公約)

人類史上始めてCO2の排出削減を法的な義務とした国際法である京都議定書の中身は、はっきりいって問題だらけです。だから、1997年に作られたにもかかわらず、しかも緊急性が高いにもかかわらず、ここまで発効に時間がかかってしまった。
 日本国民にとって一番の問題は、この条約で一番不利なのがどこからどう考えても日本だ、ということです。それは後でお話しますが、「京都議定書で決められた削減量を達成しようとすると、CO2削減コストが日本だけダントツに高い」というところが大問題です。

 そして、途上国に排出規制がないことも問題です。たとえば排出数値規制義務のない(排出を減らす努力をする義務はある)中国は、とうとう2007年には世界一の排出量となりました。冒頭に記載したとおりです。
排出権取引(キャップ&トレード)にも、問題があります。CO2をたくさん削減した国が、CO2を基準以上削減できなかった国に対して、排出権を売る制度です。これで全体の排出量削減がなんとかうまくいくようにみえます。はたしてそうでしょうか?

 なぜに京都議定書は問題をかかえてしまったのか
ほかにも、知られていないことが多いです。なぜ、最初EU(ヨーロッパ連合)は15%(8%)もの削減ができるといいはじめたのか。これは他の国々を混乱させました。なぜ、アメリカのクリントン政権は調印しておいて、批准にまわさず、ブッシュ政権による京都議定書離脱を招いてしまったのか。
なぜ、日本はきつい条件をのまざるを得なかったのか。

 少し、長くなりますがこれからエネルギー問題と環境問題はは世界擾乱の要因ともなりかねませんので話を遡らせて見ます。

「地球環境問題の時代」
1971年:ラムサール条約
1972年ローマクラブ:「成長の限界」・・・来るべき100年以内に地球上の成長は限界点に到達するであろう
1980年代:越境大気汚染問題(酸性雨)、フロンなどによるオゾン層の破壊 が顕在化
1979年:長距離越境大気汚染条約:加盟国に対して、酸性雨等の越境大気汚染の防止対策を義務づけ
1987年:モントリオール議定書:オゾン層破壊物質の段階的削減
1988年:気候変動に関する政府間パネル:IPCC(世界気象機関、国連環境計画により設立)
1992年:国連環境開発会議(地球サミット)気候変動枠条約
1997年:京都議定書採択(2005年発効) ・・・日本は温室効果ガスを2008〜2012年において、1990年比6%削減を約束。


1992年気候変動枠条約(UNFCC)に世界155カ国が署名しましたが、具体的に決まったのは次の3つです。
(1) この条約が発効し次第、条約締結国による締約国会議(COP)を、できれば年1回、行って具体的な削減方法を決める。
(2) 先進国と旧ソ連の比較的先進国、東欧諸国を「附属書I国」、さらにその中から先進国を「附属書II国」とする。
(3) COPに事務局と、科学的助言を与える機関を置く。
もう1つ加えるなら、

(4)先進国は、とりわけがんばる。

 そのくらいですが、地球温暖化にまだ多くの人が「?」を感じていた時期に、ここまでのことが合意されたのだから、まあまあの成果だと考えていいと思います。なにせ1980年代までは、地球は温暖化するどころか氷河期に入るとか?言われていましたから。

 京都会議(COP3

COP1ベルリン・マンデート、COP2ジュネーブでは比較的スムーズに会議が進みました。ここではCOP3を京都で開催することの他にはさほど具体的なことは決まりませんでしたが、この後、翌年のCOP3をにらんで、さまざまな駆け引きが行われていきます。
 EUはこの頃から90年比15%削減という極めて高い削減表明をしました。これは1995年に環境問題に関心の高いスエーデン、フィンランドがEUに加盟したことに大きな意味があったこと。とは言え、それだけの理由で高い目標を掲げたわけではありません。次のCOP3京都会議で認められるとみられた、共同実施(Joint Implementation)制度によって、エネルギー効率の悪い東欧を援助し、そこで削減した多くのCO2排出量をEU割り当ての削減排出量分に当てられるという読みがあったことは、見逃せません。ベルリンの壁の崩壊が1989年でしたね。

 東欧諸国はEUに入りたがっていたので(実際2004年、一気に10カ国がEUに加盟することになるわけですが)、EUからの共同実施の誘いは断らないはずでした。EUの強気の削減目標には、こうした背景があったのです。

 クリントン政権のアメリカもまた強気でした。数字は示さないものの、民主党の大きな支持母体となりつつあった環境団体を強く意識し、削減実施を強調し、COP3の成功に向け、削減に消極的だったロシアも説得します。(ロシアは経済破綻していた)

 アメリカの強気もまた、背景がありました。アメリカの息のかかった中南米諸国と共同実施すれば、少々の割り当て削減量も達成できるだろうという読みです。もっとも中南米諸国は東欧がEUになびくほどアメリカに尻尾を振る理由もなく共同実施には反対します。共同実施によってむしろCO2の削減を押しつけられるのを恐れたためです。

 この結果、京都会議では妥協の産物としてクリーン開発メカニズム(CDM)がつくられることになります。

 とにかく共同実施やCDMを行った先進国は、それに見合った排出権を獲得することができ、それを自国の排出権に加算することができるのですね。それを使えば高い排出削減量を課せられても大丈夫、という読みがあったわけです。日本以外は。

 COP3議長国日本政府の内部対立
 一方、日本は次の議長国となるというのに、今一つ存在感が出せずにいました。理由は、長年の環境庁(現:環境省)と通産省(現:経済産業省)の不仲です。

 産業界の利害を代弁した通産省に対し、環境団体の期待を一身に背負う環境庁。今までも環境政策をめぐってもたびたび対立してきた両省庁が、ここでも一歩も引かず、日本の方針を打ち出すことができなかったのです。

 通産省は、削減ゼロを主張していました(注意したいのは、これはひとつも削減しないのではなく、1990年と同じ排出量を維持するということで、1997年ベースでいうと削減になる)。その理由にはそれなりの合理性がありました。 
 
 つまり、日本は世界一の省エネ国家だ。これ以上省エネはむずかしい。CO2削減コストは他国に比べてかなり高くつく。しかも日本の景気はどん底だ(山一證券が廃業したのも1997年)。経済活動まで締め付けて、CO2排出を削減すればそれは経済の崩壊につながる。というものです。

 しかし、ここで第3のアクターとして外務省がでてきます。外務省は、なんとか議長国としてCOP3を成功させなければという思いがありました。

 それは1991年の湾岸戦争の時です。日本はなんら手をうてず、急がされてようやくなんぼかの(といっても莫大ですが:1兆円以上ですよね?)資金と、申し訳程度に自衛隊の掃海艇を送っただけでした。

 イラク戦争の時と違って、フランスもロシアも多国籍軍に参加したこの時、機敏な対応ができなかった日本は世界の笑い者でした。少なくとも外務省はそう思い、屈辱に耐えていました。

 そのため、日本外交の成果として、ここでなんとかCOP3を成功させなければならない。そのためには、議長国日本が具体的な排出量削減を示さなくてはならない。外務省はそう考えていたのです。
 
 さて、京都会議は各国代表の体力気力が消耗していく中で議長である大木環境庁長官提案が一つの基準となり、結局削減量は以下のように決定します。
・ 先進国は2008年〜12年までに90年比で最低5%削減。
・ 上記を前提としてEUは8%、アメリカ7%、日本6%削減。・ 他の先進国も削減または抑制量を設定。ただし、旧ソ連・東側諸国はベースラインとなる年を90年にしなくても可。

途上国の削減義務は数量としてはなし。がんばること。
国益を考えないゆえ、日本の負担はダントツに高くなってしまったという情けない顛末です。


              <つづく>

        文責:小池 広行


posted by 坦々塾事務局大石朋子 at 20:03| Comment(0) | ゲストエッセイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月06日

『「権力の不在」は国を滅ぼす』岩田 温

    
     坦々塾会員 岩田 温

  
西尾幹二著『「権力の不在」は国を滅ぼす-日本の分水嶺』


   イデオロギーに対する警告


 日本を代表する評論家西尾幹二の評論集。近年発表した雑誌論文を収録したものゆえに内容は多岐にわたるが、全編にわたって闘志漲る戦闘的な評論集である。

 著者が真に闘いを挑むのは旧態依然とした左翼だけではない。思考停止に陥った右翼だけでもない。そういった人々を当然含むが、著者が闘うのは現実をみつめようとしない人々、狭隘なイデオロギーを信仰する人々である。

 イデオロギーとは、マルクス主義の独占物ではなく、常に知識人に付きまとう危険な麻薬のようなものである。著者はイデオロギーに溺れる人々を「手っ取り早く安心を得たいがために、自分好みに固定された思考の枠組みのなかに、自ら進んで嵌り込む」人々だと評するが、実に的を射た指摘だと言ってよい。知識人が自らに対する懐疑を閑却し、自らの立場に安住することを望み始めたとき、知識人の体内にイデオロギーの毒が回り始めるのだ。

イデオローグは闇雲に徒党を組み、「敵の敵は味方」、「数は力だ」とばかりの安直な政治主義に陥る。彼らにとって重要なのは勢力拡大のみであって、狭い領域での友敵関係、力関係が全てを決するのだ。やむにやまれぬ真理の追求や孤独な懐疑を政治を理解せぬ児戯と嘲笑い、時には「利敵行為」として指弾する。往々にして思想家を気取りながら思想を最も軽蔑するのがイデオローグの特徴である。

 また、かつてのマルクス主義者のように自覚的なイデオロギーの虜も存在するが、イデオロギーとは無縁のような顔をして、どっぷりと無自覚なイデオロギーに侵されている人々も存在する。

 無自覚なイデオローグの代表として著者が批判して止まないのが秦郁彦、保坂正康、半藤一利といった「昭和史」の専門家を自称する「実証主義者」に他ならない。

 当然の話だが、歴史において単純な実証主義は成立しない。いかに細かな実証を積み重ねて小さな部分を明らかにしようとも、単純な実証主義からは歴史の全体像が見えてこないからである。実証主義は究極的に突き詰めれば、自らの信ずるパラダイムを擁護する護符にしか過ぎない。実証はあくまで歴史の全体像を補強、確認するための手段にしか過ぎないのだ。従って、実証を盲信する人々は、無自覚のうちに、自らの安住するパラダイムを守るためのイデオローグとなりはてる。何故なら、彼らは自らのパラダイムそのものに対する懐疑の念をいささかなりとも有してはいないからである。著者はこうした無自覚のうちに半ば公式化されたパラダイム、イデオロギーと闘うことの必要性を説くのだ。

 思想家は読者に安直な解答を与えない。問いそのものを読者に突きつけ、悩ませ、より複雑な問いの展開へと導く。本書はまさしく思想家の書物である。

     文責:岩田 温
posted by 坦々塾事務局大石朋子 at 10:38| Comment(0) | 読書感想文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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