2009年06月24日

鈴木敏明著『逆境に生きた日本人』岩田温



 鈴木敏明著『逆境に生きた日本人』(展転社)

        坦々塾会員 岩田温

 著者の鈴木敏明氏とは西尾幹二先生の勉強会の坦々塾でお会いしました。それがご縁で最新刊を頂きました。

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 「逆境に生きた日本人」は実に面白い内容となっていて、日本人が逆境の中でどのように生きたのかということを具体的を挙げながら述べられている。
 私が特に興味深く思ったのは、第4章のシベリア捕虜強制収容所、いわゆるラーゲリの話である。
 ソ連のやり方は非常に巧妙で、まず収容当初は旧日本軍の階級制度を残したままにしておく。例えば将校であれば食事や労働において優遇したりなどの特権を与えていたのだ。これに対して、一般の捕虜に壁新聞などで「彼らに搾取されている」「なぜ平等ではないのか」とプロパガンダを煽り立てる。すると、彼らの中で「なぜ差別されるのか」という感情が生まれ、そこを見計らって日本人の中からソ連に媚を売る人間が出てくると言う話だ。

 これが非常にうまくいって、いわゆる民主化闘争などと呼ばれるものに発展していく。これは結局はこれまでの秩序を破壊するために、反軍隊制度の思想を徹底的に煽ったのだ。

 これに逆らった人間に対するやり口が非常に恐ろしい。まるで文化大革命を思わせる。ここで吊るし上げられるのは将校だが、どんなに弁明したところで「反動」の烙印を押され、被告とされた「反動」に対して全員が衆人環視の中で罵言を浴びせる。その中で活動家たちが「民主主義の敵だ」「もっとやれ!」「やっちまえ」と叫ぶのだ。これは単に場内の興奮を煽るだけではなく、この人々の中から同情者を探してもいるのだ。そして、そのとき目をつぶっていたり、うつむいたりして耐えていた同情者が、今度は標的となるのである。

 これはチベットで中共が行ったとされるタムジンという制度に非常によく似ている。共産主義の恐ろしさ、そしてそれに媚び諂い迎合してしまう日本人がいたことを明らかにしている。

 最後の「日本人の資質が生んだ自虐史観」という章については、私も若干の異議がある点があるが、非常に参考になる本である.
       文責:岩田 温

http://yaplog.jp/conservative/daily/200806/05/
2008年6月6日 「岩田の日記」より再録




posted by 坦々塾事務局大石朋子 at 00:04| Comment(0) | 坦々塾報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月22日

「国体の本義」に係わるご講義に思う(後編)足立誠之


「国体の本義」に係わるご講義に思う(後編)  

坦々塾会員 足立誠之


 例えば「中国経済の改革開放が進み経済が発展すれば民主化が進むという歴代政権の考えは根拠の無い楽観論である」とか「中国指導部はアメリカをピークの過ぎた覇権国家であると考えており、やがては自らがそれに替わると考えている」「中国指導部はアメリカを自分達のために利用できるだけ利用しようとしている」といった表現が随所に顔をだしており、しかも総てインターネットで公表されているのです。

 もし日本が中国に関することを延べたらそれが事実であることでも、否、事実であるが故に「日中関係をギクシャクさせ」という声が高まり、そうした文書は封殺されるでしょう。

 日本、日本人程外国との関係で"ギクシャク"することを恐れる国、国民はないでしょう。外国は常にこの弱点を突いてきています。日米貿易摩擦もそうでした。アメリカは理屈にならないことを含めて強硬な姿勢で法外な要求を突きつけてくる。日本側は理由よりも先ず日米関係が"ギクシャク"するからということで前川リポートを作成したように思えます。日中関係においては正に「"ギクシャク"を避ける」ことが外交であるかのような発言をする人物が首相だったわけであり、それを不思議とも思わないマスコミ・言論界なのです。"ギクシク"しないことを外交目標にする国が現実に存在すること事態が不思議です。武村健一氏が言った「日本の常識は世界の非常識」が正に当てはまります。

 この日本の特質は、占領時代に行なわれた検閲、焚書によるところが大きかったことは間違いないでしょう。しかしどうもそれだけではないような感じはしていました。
 今ほと酷くはないが、戦前の日本にもそれに近いことが見られるような気がするからです。昭和初期の幣原喜重郎外相による対中国(当時は支那)融和政策にそれが見られます。幣原外相がそれまで中国にアグレマンを得ることなく公使(註:当時は中国へは大使を派遣していない)を赴任、駐在させていたことを改め、欧米に対すると同様に公使予定者を内示し中国側のアグレマンを得て正式に赴任させる決定をします。これは対中外交で屡おきていた"ギクシャク"を誠心誠意相手側を尊重することで解決しようとするものでした。

 ところがその初っ端がくじかれます。中国側は前トルコ大使で、一度中国公使を勤めている小幡酉吉にアグレマンを下そうとしなかった。中国側のアグレマンを出さない理由は小幡が二十一箇条条約に関与したことを挙げたとされますが、その小幡は公使として中国に赴任した実績もあるのです。その後中国側は公使ではなく相互に大使の交換にレベルアップするなど筋の通らない話を持ち出したりした結果小幡の中国公使赴任は実現しませんでした。それ以降も満州では万宝山事件、中村大尉事件など外交上の問題が多発し満州事変が起きるわけです。こうした日本人同士にしか通用しない相手を慮り"ギクシャク"を避ける誠意・善意に基づく外交がいかに大きな災厄をもたらしているのかについて未だに気付いていないのが日本と日本人です。

 6月6日のご講義で西尾先生が昭和12年文部省編纂「国体の本義」をこの問題の解釈の手立てとして示されたことに目から鱗が落ちる思いがいたしました。

DSC_0012.JPG

 その後大石さんから送られた当該「国体の本義」の原文に当たりました。原文は思ったより長文で内容も戦後教育に染まった私にはなじめないところが多かったのです。然し読み終えて感じたものは歴史の時間軸、そして世界の空間軸の上に俯瞰図を構築し自らの存在位置を必死に求めていた日本と日本人の姿でした。

 それは今日の日本にはもう見られないものであり、そこに私は問題の根源を見出した思いがします。
 敗戦と占領は日本に大きな打撃を与えました。中でも最大のものはこうした歴史の時間軸と世界の空間軸の上で全体を俯瞰し自己の存在を位置づけようとする態度と姿勢がうしなわれたことでしょう。

         (おわり)
 
             文責:足立誠之
posted by 坦々塾事務局大石朋子 at 13:15| Comment(0) | 坦々塾報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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