浅野正美
坦々塾会員・坦々塾事務局映写担当
昭和34年4月10日、ちょうど50年前のこの日、日本中が沸き立つ御慶事があった。この年の12月に生まれた私は直接に体験したわけではないが、折に触れて放映される 映像を通して、その出来事はすでに「記憶」の一部となっている。
一度だけ、両陛下を間近で拝見する機会があった。それは昭和53年、私の郷里信州諏訪をご訪問された折のことだ。今ほど警備も厳しくなく、ほんの指呼の間といって良い距離をお歩きであった。小雨がぱらつく空模様、当時皇太子殿下でいらした陛下は御自ら傘をさして歩かれていた。
昭和64年1月7日。長い病の末に昭和天皇が御隠れになり、平成の御代が始まった。意識の上では、永遠に昭和の子でいたいというような感情があったが、その平成も今年で20年の歴史を閲することとなった。両陛下の国民を思うお気持ちは、折々の御製、被災地へのお見舞い、慰霊の旅、そして非常に大切になさっている宮中祭祀を通して我々国民にもしっかりと伝わって来る。その御生涯に私はなく、ただひたすら公のために、祈りを捧げて来られたのだと思う。御皇室の存在は我が国の誇りであり、人類の奇跡である。歴代124代、源泉は神話にまでさかのぼる。今、御皇室の危機、具体的には皇統断絶の危機が間近に迫っており、両陛下は深くお心をお痛めであると聞く。残念ながら、現在の大方の日本人は、御皇室が明日なくなっても何とも思わない人達で占められているだろう。だからこそ、御皇室の尊さを知り、尊崇する私達こそがしっかりしなくてはならない。
昨年、西尾先生はこういった時代背景の中「皇太子さまへの御忠言」をお書きになり、問題提起された。雑誌で読み、改めて単行本で読んで、問題の本質の深さを知った。国家喫緊の課題であるにも関わらず、このことが具体的な政治日程に上る見込みはない。今、我が国の政治は経済問題と政局にばかり足下をすくわれ、我が国悠久の歴史の連続性に対する危機感は皆無である。
現在、御皇室の御慶事を国民こぞってお祝いするという風土はなくなってしまった。否、何事によらず国民が共通の対象に対して熱狂するということは、大阪万博以来絶えて久しい。これが豊かさがもたらした成熟だというならばそれでも良い。今日を中心として、様々なメディアが、一瞬だけ両陛下のことを取り上げるであろう。そこでどんなに多くが語られたとしても、その多くは商売優先の営業政策であり、本心から両陛下を慶賀し、奉祝するものでもなければ、今ある危機を国民に伝える啓蒙の気持ちなど微塵もないことはいうまでもない。
奇しくも、私の人生は両陛下のご成婚からの時間とほぼ一致している。そのことに深い意味はないが、そんな些細な偶然も誇らしく思っている。悠仁様が御誕生になった瞬間の、何とも晴れがましい気持ちを思い出す。自分の周りの空気から霧が晴れ上がるように、こころが洗われた瞬間であった。我が国を覆っている霧が晴れる日は来るであろうか。苦難の歴史を通して繋いできた天皇制度が、将来に渡って維持されるよう願ってやまない。もっともお心を痛めておられる両陛下が、何一つ御発言できないのであれば、問題を解決するのは、国民と政治の責任である。御高齢の両陛下が、一日も早く御安心なされる日が来ることを祈りたい。そして、両陛下がさらにさらに御聖寿を重ねられますことを何よりも願う。
文:浅野 正美