2013年01月22日

ネコでも分かる「消費税亡国論」前文 渡辺眞



ネコでも分かる「消費税亡国論」前文     
     
       渡辺 眞

昨年、民主党の野田内閣で消費税率を 2 段階で上げるという法律が通った。それは2014 年 4 月に 8%、2015 年 10 月に 10%というものである。安倍内閣は「消費税率を上げればどういう悪影響が出てくるか見極める」と言っている。

 竹下内閣の消費税導入からそして橋本内閣が 5%に上げてから、日本経済に酷い悪影響が出たのだから、さらに消費税を上げれば景気や経済は悪くなるのは明らかであり、逆に言えば消費税率を下げれば、さらに消費税をやめれば経済や景気が良くなるということをようやく気付いたのだが、それを言い出すと狂人扱いされると思って言い出せない。だから「消費税をあげればどんな悪影響が出るのか見極めたい」と言っているのではないか。この声明には重要なヒントがすでに提示されているのである。

 安倍内閣成立以来、安倍さんの政策を歓迎して(マスコミは足を引っ張ろうとしているが)円安は進み、株価は上昇している。このまま行けばこの 20 年の日本経済の沈滞・低迷と規模縮小やデフレを脱しうるのか、インフレ率の設定とお札の印刷だけで日本経済は上昇に転ずるのか。残念ながらそうはならない。消費税を上げたらたちまち日本経済は破綻する。そして安倍内閣の支持率は急落する。そうならない前に警告したい。

 昨年末、私の会社の消費税の支払いから、消費税こそが日本経済低迷の最大の原因であることに気づいて、資料を集め、グラフや表を作った。それを他人にどう説明したら、納得してもらえるのか考えてきた。それを展開してみる。

本文は、クリックしてご覧下さい。
消費税亡国論.pdf



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2012年05月29日

「天皇と原爆」(西尾幹二著、新潮社)に想う 足立誠之


「天皇と原爆」(西尾幹二著、新潮社)に想う

その1:1919年パリ会議と1939年日米通商航海条約破棄

本書は著者西尾幹二氏の総合的な思想・考えを260ページに凝縮したものと私は捉えました。
以下は本書、そして著者からどんな刺激を受け、先の戦争についてどう考えるか記すものです。
著者は日米戦争を宗教戦争という視点でアプローチされました。
私は、この戦争は日米が各々のidentityを賭けた戦争であったとして捉えています。
アメリカはmanifest destinyという攻撃性を孕んだ彼らなりのidentityを以て外に向かう歴史を有し、その結果、アメリカ・インデぃアン、ハワイのポリネシア人、フィリピン人は自らが育んできたidentityを喪失しました。奴隷としてアフリカから連れてこられた黒人も同様に固有のidentityを喪失しています。
さて著者西尾幹二氏は、歴史研究の基本原則を常に述べてこられました。
西尾氏が最も重視しておられる原則は、「その時代に自らをおいて歴史を捉える」ことであり、そのことが私が西尾氏から学んだ最初のものでした。
自らを現代という高見において歴史を見下すのでは歴史は理解できません。そうしたことを理解していないことが、今日の日本の"知識人"の致命的欠陥なのです。
ニュートンを例にとります。
20世紀最大の経済学者ジョン・メイナード・ケインズはニュートンの研究者でもありニュートンの手紙・メモなど膨大な資料を丹念に研究しまとめています。没後間もなく1946年に発表された彼の論文によりますと、ニュートンが最も研究時間を割いたのは錬金術であったとのことです。ニュートンの遺髪分析でヒ素や重金属類が検出されたことでそれは裏付けられています。ニュートンが「錬金術に」没頭していたと
いうことは人々を驚かせました。
この驚きの拝啓には、人は歴史を振り返る時、現在の物差しで見てしまう性癖があるということです。ニュートンの時代に身を置けば錬金術を研究しても何ら不思議ではなかったのです。後世の自然科学の常識でニュートンを評価することこそナンセンスなのです。
尚、物質の最小単位である元素を替えることは出来ず、錬金術が不可能であることを明らかにしたのは、ニュートンの後の時代のフランスの化学者ラボアジェです。
ニュートンに対してすら人は今の物差しで判断してしまうものですが、専門の歴史家、知識人はそうであってはならない筈です。
ところが戦後の我が国の歴史家、知識人は一般人以上に、自らを今という高見に置き、 過去を見下し、今の尺度で歴史を論じており、著者はそこを鋭く問うているのです。
彼らの記した「太平洋戦争史」は典型的なニュートンを嘲笑う類です。
彼らは先の戦争に至る世界の状況の考察を欠き、揚句は今日の目で過去を見下し、先の戦争を「"無謀"で"愚かな"戦争であった」と片付けているのです。辛亥革命以後のシナ(中国)では軍閥割拠の分裂状態が1949年の共産党政権成立まで続いていたこと、シナ大陸では今日に至るまでただの一度も民主的な選挙がおこなわれたことがないこと。更につい最近まで信じ難いほど識字率が低かったことも、1980年代に至るまで義務教育制度が確立していなかったことも。そうしたことが殆ど触れられていません。
タイを除く東南アジアのすべてが欧米の植民地であったことも、欧米人の有色人への蔑視が支配的であったことも日本にたいする姿勢が今日とはまるで違っていたことも触れていません。
要すれば今の日本の知識人は先の戦争にいたる世界が今日と同じであったかの様な前提で過去を論じているのです。
ここでは先の戦争の主な相手であるアメリカがどうであったか、だけ取り上げてみます。
アメリカの抱えてきた最大の問題は、人種問題です。
アメリカ独立宣言は「すべての人間は平等に作られ、創造物主によって一定の権利を与えられている。 生命・ 自由・幸福の追求である。 これらの権利を保障する政府が組織されることが、人民の 権利である。」との趣旨が謳われていますが、「すべての人間は平等である」としながら、それが法律で担保されたのは、1964年の「公民権法」の制定以降であり、日米戦争終結後実に19年も経った後なのです。
戦前も、戦時中も、占領期間中もアメリカでは「すべての人が平等」ではなかった。
最近発売されたキャサリン・ストケット著「ヘルプ」(集英社)はアメリカでは1130万部を超えるベストセラーだそうです。
舞台は南部ミシシッピー州ジャクソン市、次代は1962年から1964年。
"ヘルプ"と呼ばれていた 黒人メイド達と南部アメリカ諸州の真実に迫るものです。
それは「生まれながらにして平等」とはかけ離れた驚くほどの差別社会です。
当時南部で有効であったジム・クロウ法(黒人差別法)条文では白人と黒人の婚姻の
禁止などは序ノ口で、白人墓地への黒人遺体埋葬の禁止などの条文が続きます。
白人専用のトイレでその旨の表示のないトイレを黒人が使ったために白人から「半殺しにあう話なども出てきます。
「ヘルプ」は日米戦争後15年以上後の話ですが、戦前は更に酷いものでした。
リンカーンの奴隷解放宣言は出されたものの南北戦争後「K.K.K.」が作られ、黒人への威嚇・暴力行為が起こり、一旦は衰えたものの20世紀になると再び勢いを盛り返します。
1925年にはK.K.K.会員は500万人を越え、南部だけでなく中西部にまで及び、会員の州知事まで出現します。さらに連邦政治にまで影響を及ぼすようになります。
後の大統領ハリー・トルーマンや後の最高裁判事ヒューマン・ブラックも会員であったほどです。
その後、会の指導者の一人が女性誘拐と破廉恥行為で当該女性を自殺に追いやった事件から、会と政界との癒着の暴露が起き、会は衰退します。然しそれが即人種差別への反省に連なるものではありません。
人種差別は黒人だけではなく、日本人にも及び、1924年、連邦議会で「排日・移民禁止法(ジョンソン・リード法)が成立し大統領も署名、これにより、連邦全体で日本からの移民が禁止されました。
当時、有色人種は生物学的に白人より劣る」という見方がアメリカではごく普通であり、この点、ナチス・ドイツを思い出させます。
20世紀の全般、先の戦争まで、アメリカではこうした有色人種への蔑視が当り前であり、有色人種の中で唯一の峡谷であった日本への警戒、敵意と憎悪が如何ほどのものであったのか。アメリカの対日政策がこうしたことと全く無関係であったなどと誰が言えるでしょう。
そんな時代の、アメリカの外交政策、軍事戦略がどうであったのかは、正に先の戦争の決定要因であった筈です。
昭和14年(1939年)7月、アメリカは日本に対して突然日米通商航海条約の破棄を一方的に通告してきました。そして日本側のあらゆる努力にも拘らず、通告期間6か月を経た、昭和15年1月に同条約は失効します。
日米通商航海条約は明治44年(1911年)に締結され、互いに最恵国待遇を与えるものであって、条約破棄は重大な問題です。
ところがこのアメリカの行動は歴史年表の同年前後を見ても理解し難いのです。
これに先立つ、第一次対戦後の1919年パリ講和会議で国際連盟の樹立が決められます。その際、日本は連盟規約に"人種平等"を謳うことを提案しました。
ところがアメリカはオーストラリアなどと共に強く反対します。最終的には日本が内容を緩和し、会議出席国の半数以上の賛成を得たのですが、議長であったアメリカのウイルソン大統領は、「全会一致でない」ことを理由に議長特権で強引に日本の提案を廃案にしてしまったのです。
昭和天皇は先の戦争については極めて慎重なご発言をなされておられますが、先の戦争の原因について、パリ講和会議での人種平等問題とされておられた、とはっきりと記憶します。
これは正鵠を得たご発言と拝察します。
第一次対戦参戦とその終結に、アメリカ大統領ウッドロー・ウイルソンは「民族自決」など14カ条の平和原則を提示し、第一次対戦とその後の国際社会のリードに乗り出します。
これは独立宣言をベースとする国際世界での規範策定をリードすることで主導権をイギリスから奪取しようとする意図を秘めていたと考えられます。
そうした意気揚々とした気持ちでパリ会議に臨んだ筈のウイルソンにとって、日本の「人種平等」の提案は一大衝撃であったでしょう。
日本の提案が受け入れられれば、人種平等を欠いた社会の現実に立つアメリカの独立宣言は国際社会で輝きを失うでしょう。
国際政治、経済では、ルールの策定とその実施で主導権を握る国が支配権を有することになります。
第二次大戦後の国際社会でアメリカは総ての分野でのルール策定の主導権を握りました。
BISによる銀行の自己資本比率規制や、TPP交渉にみられるようにルール策定の主導権を握るものが他を支配することになります。
ですから第一次大戦後のパリ講和会議でのイギリスの同盟国日本の提案「人種平等」が 受け入れられればアメリカは国際社会での規範、ルール作りでイギリスから主導権を奪うことができなくなります。更に国際ルールの主導権を有色人種国日本が握りかねないと危惧した可能性もあります。
新渡戸稲造の「武士道」も彼らの目には国際規範を主導する危険性を孕む可能性ありと映ったのかもしれません。
アメリカは既に1897年(日清戦争後、日露戦争前)には日本を仮想敵国とする戦争計画「オレンジ計画」を策定していますが、この日本の「人種平等」提案に、「日本とイギリスの同盟を終わらせ、日本を徹底的に打ち破らなければ、自らが危ない」と考えたと私は推定します。
これ以降アメリカは日本を仮想敵国から一段上の「準敵国」としたのではないでしょうか。
上に述べた昭和14年7月の日米通商航海条約の一方的破棄通告を説明できるのは、それ以外には考え難いのです。
さて戦後書かれた歴史書はGHQによる検閲と焚書を中心とする極秘裏の言論弾圧・統制により支配されました。詳細はいずれ記しますが、この影響は今日に及んでいます。
占領以降に我々が受けた情報や教育には、「アメリカは自由と平等そして人権が守られている国であり、その対極が敗戦にいたるまでの日本であった」というものでした。
そこには、K.K.K.についての話もジム・クロウ法についても存在せず、パリ講和会議で我国代表が国際連盟規約に「人種平等」を入れる提案をおこなったことも、アメリカ大統領が強引に日本の提案を廃案にしたことについても完全に封殺されました。
そうした戦後の歴史教育が繰り返し刷り込まれてきたのが今日の日本です。
そして今日においてさえ、所謂昭和史家などの歴史家が書く太平洋戦争史にはパリ講和会議における日本の人種平等案とアメリカの反対についても、昭和14年7月のアメリカによる日米通商航海条約の一方的破棄通告の重大性についても殆どふれていません。
これは万有引力の法則発見を欠いたニュートンの評価に等しいものではないでしょうか。

(平成24年5月足立)



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2012年05月03日

『日米開戦の悲劇』濱田 實


『日米開戦の悲劇』

・・ジョセフ・グルーと軍国日本・・(福井雄三著・PHP研究所・1600円)を読んで  240503

日米開戦の悲劇 福井雄三.jpg


     坦々塾会員 濱田 實

ご縁があって名著と巡りあった(私が選ぶ今年のベストワン)。この本は史実をもとにまとめた実に客観的な内容である。日米戦争の本はゴマンとあるが、それらをうまく総括してくれた本というべきだろう。帯に“渡部昇一氏 絶賛!!”とあるが、読んでみて、それは渡部氏の本心であることを私なりに深く確信した。自信をもって必読の書としてお勧めできる。

グルーは1932〜42年まで駐日大使を務めたアメリカ人。この期間は5.11事件から日本の国際連盟脱退、2.26事件、シナ事変、そして対米戦争突入というまさに怒涛の歴史でもあった。日米戦争は共に死活をかけて戦った戦争である。
結論からいえば、彼には、当初、白人ゆえのアジア人に対する偏見もあったと思うが、実は実直な性格で、理性と礼儀と節度を重んじる外交官であったことが、日本にとってまことに幸いであった。終戦時には原爆投下という不幸もあったが、何とかそれを防ごうと裏で努力したのもグルーであった。ところが、今もってそのことを多くの日本人は知らない。

彼の夫人も、グルーに共通して自身の身体的障害をもっていた。故に夫妻は共に似通った精神体質、価値観を持つ一個の律儀な人間であった。そして10年に渡る日本での生活を通して、共に親日的なアメリカ人となり、陰ながら日米友好に貢献した。

彼の孤軍奮闘の内容は本をお読みいただくとして、自分なりに頭の整理も含めてポイントを紹介する。
@ 戦略的、戦術的な大失敗を誘導したのは、海軍であり、殊に山本五十六の責任は極刑以上に値する。海軍の情報隠し、正直でない体質が、戦争突入を早め、かつ終戦のタイミングを遅らせ、ついには原爆投下を導いたともいえる。
戦争はやむを得ず突入することも多々あるが、基本的には「負ける戦争はしてはならない」 本書は様々な戦闘事例を示しているが、度重なる海軍の虚言報道が、戦争末期における陸軍の作戦をも大きく狂わせたとある。レイテ島における、栗田艦隊に見捨てられた日本軍(陸軍)兵士の全員餓死も悲惨である。ルソン島守備隊も為す術もなく、全滅した。
「・・・上官のもとに、どれだけ多くの有能で立派な海軍軍人たちが犬死にをしていったことか、その無念さは想像にあまりある。無念の死を遂げた多くの帝国海軍軍人たちよ、安らかに眠れ。海の勇士たちに栄えあれ」(福井雄三)  
*山本五十六評価は福井氏にお任せするとして、昭和17年前後、山本元帥から橋本徹馬氏あての書簡があるので、紹介する。山本元帥と橋本氏との関係や、橋本氏とのグルー大使との交渉史についても、今後資料を確認し次第、紹介したい(浜田)。
「久々にて貴信拝受 其後は暫く郷里に御隠棲中なりしとか 気違相手では怪我損とでも可申か御同情に不堪候 小生海上四年全く世間と没交渉にて専ら潮の辛さを味来候へば国際関係等も如何のものかや不存候へ共 最早中立国等にかかりあい居りても間にあわざるべく斃すか斃るるかの外無之と覚悟を決めてかかるべきの秋と存じ 小生は敢て敵国恐れざるも味方方面には時々畏入らされ居候始末にて真に憂慮に不堪と感居候 折角御自愛上候 敬具 十七年十一月末   山本五十六
橋本徹馬殿」
このとき、橋本氏は戦争を防ぐべく日米交渉に努めていたのだ(グルー大使とも接触)が、憲兵隊に拘引留置されていた。山本元帥の書簡は遠まわしに、軍部主戦派の強引なやり口を婉曲表現であるが憂慮されていることが分かる。
A グルーは10年の任期を終え、帰米後、国務省極東局長に就任、その後著書『滞日十年』
が出版された。この本と、彼の二年余りにわたる東奔西走による全米での遊説活動は、アメリカ人の乏しい対日知識に基づく我が国への誤解を解くうえで大きな貢献をした。
B 日本と死闘を繰り返したアメリカ人は、日本軍の勇敢果敢な戦いぶりを、心底畏敬の念をもって感じ始めていた。
C 1944年12月、病気がちのハルは国務長官の座を退き、次官のステティニアスが長官となり、グルーは国務次官となった。先の出版と遊説活動に続く、終戦処理に向けた8ヵ月にわたる、彼にとって第二の総決算、大活躍が始まった。
D ルーズベルトは大統領選挙で、史上、前代未聞の四選を果たし、四期目の任務に就いたところであったが、彼は日本を心底から軽蔑していた。彼の人種差別は最たるものだったが、日本民族をしてこう言い放った。「日本人は頭蓋骨の形状が欧米人と異なる劣等民族であり、彼等が世界を征服するなどという暴挙を企てるのは、このような劣等遺伝子のなさしめるわざである」・・と。彼のこういう偏見は、彼の先祖が奴隷商人であったこともあり、偏見と差別意識が骨の髄まで染み込んでいた。
E ルーズベルトの跡を引き継いだトルーマンは、政治家としてズブの素人であった。権謀術数においては、ルーズベルトの巨大さにはるかに劣っていた。それは、ルーズベルトの強硬路線から宥和路線に変わる可能性も芽生えてきたことをも表していた。
F グルーは、国務省の中で、これは大きなチャンスともみていた。トルーマンによる対日講和条件に天皇制存続をほのめかす文言を織り込むよう、トルーマンを説得した。陸軍長官スチムソンもこれに同意した。スチムソンは知日派であり、戦前の日本をこよなく愛していた。アメリカ空軍による京都爆撃計画に体を張って阻止したのも、スチムソンであった。だがこの計画も、マーシャル参謀総長が「まだ時期尚早」として反対したため、グルーの企ては失敗に終わった。
G このとき、アメリカ軍部は、原爆実験が成功し次第、間髪を入れずに、日本に投下すべくひそかに決意していた。アメリカは、この恐ろしい誘惑に勝てなかった。日本に投下しないと永久に原爆投下のチャンスは失われてしまうと考えていた。悪魔のささやきはトルーマンも周辺をも魅了する力があった。
H グルーの最後に残されたチャンスは、ポツダム宣言に賭けることであった。この宣言に天皇制存続を暗示する文言を入れることさえできれば、日本は面子を失うことなく降伏することができると考えた。間一髪のところで、ソ連参戦と原爆投下を阻止することができるだろうとも考えた。スチムソンもグルーの考えを支持し、トルーマンにその宣言草案を提出した。
I 残念なことは、ここでどんでん返しが起こったことである。
7月3日、親シナ派ノバーンズが新しく国務長官に就任した。これで一気に流れが変わり、国務省内では対日強硬派が頭をもたげ、グルーの最後の努力もここに潰える結果となった(こういう、どんでん返しも、歴史は“宿命”を抜きにして考えられないと言われる所以である)。
J 7月3日、米・英・支三国の名で対日降伏勧告、ポツダム宣言が発せられた。宣言にはグルーが目論んだ天皇制存続を仄めかす文言は削除されていた。文言を削除したのは、原爆を日本に投下するためにアメリカが仕組んだ「罠」だった。鈴木貫太郎首相の「ポツダム宣言を“黙殺”する」という公式声明中の“黙殺”は、英語の“拒否”と翻訳され、原爆投下の口実に使われてしまった。日本はアメリカ側の「罠」にまんまと嵌ってしまった(too late が如何なる結果をもたらすかの教訓がここにもある)。
K その後、長崎にも原爆が投下された。ここにきて日本政府は8月10日の御前会議でポツダム宣言受諾が決定した。日本はこの段階においても回答のなかで、ひとつの条件として「天皇の国家統治の大権を変更しない、という了解のもとにポツダム宣言を受諾する」というものだった。
L この段階においても天皇制存続にこだわった日本。これが日本にとって妥協できるギリギリの最後の一線であった。もしこれが拒否されれば、民族が滅亡するのを覚悟のうえで本土決戦を行うしかなかった。日本政府にとっても、実につらい回答であったことを、
我々はよく認識する必要がある(皇室に関わる問題を安直に語れない背景がここに在るのではないか。ときに皇室に対する慎重意見が出るのも、奈辺に在るものと思う)。

<ここで、閑話休題>
民主的と伝統との鬩ぎ合いであるが、この議論はあくまで根本的な「國体論」の中でこそ語られるものと思う。岡田さんの「天皇はじめ皇族の方々に、最高の人格を求めることは間違いであると思っております。更に皇室は、所謂“開かれ”てはならないものとも思って おります。天皇はじめ皇族方の地位と人格が一致するにこしたことはありませんが、それ以前に『人間である』ということを考えねばならないと思い、傅育官や 教育掛(東宮御教育常時参与)、宮内庁長官、侍従職等々にそれ相当の『人物』が配置され、お仕えしているかどうかがカギとなると思います」はその通りであり、“それゆえ”慎重を期すべきものともいえます。なぜならば、その時代、時代で必ずしも、それ相当の人物が選ばれるかという保証もないし、また時代の雰囲気、時代相当の不出来の人物が選ばれることもあるからです(今の時代を見ればお分かりでしょう)。
昭和天皇における御裁断の御苦しみも、まさにこの鬩ぎ合いのなかにありました。先日、大東亜戦争に関するある勉強会で、隣席の方が「戦前という時代、当時の平和は“戦争の合間の”平和だった。しかし戦後は平和のなかの戦争だ。平和も戦争も、戦前と戦後を同列に論じることはできない」と発言されていたが、昭和天皇はそういう時代の環境に置かれていたことを、我々はかたときも忘れてはならない。戦後我々の安直発言はすべて戦後言語空間のなかでの安全圏での発言であることに思いを致さねばならない。
M スチムソンは、この機に及んでも、なお天皇制の要求を貫き通している日本の姿に、心底感動していた。彼はそこに武士道の究極の姿を見たのである。ここまで覚悟をしている日本に対して、これ以上の殺戮を行う必要がどこにあるか・・・と。だが対日強硬派のバーンズ国務長官は、それを否定するかのような発言をしたが、トルーマンはフォレスタル海軍長官の次の意見に同意したという。・・・「天皇性護持という日本の最後の要求を受入れる含みで、しかもポツダム宣言の内容が確実に達成されるような降伏条件を、日本に示すべきだ」
アメリカの最終回答はこういうものであった。
「戦後の日本国の政治形態は、日本国民の自由に表明された意思によって決定されるべきものとする」
天皇制存続に関し、明確な保証はしないが、けっして否定するものではない。ブラフを散らつかせつつ、アメリカの面子も考えての曖昧な表現ではあったが、天皇制存続の暗黙の了解であった。これがもし、アメリカ側の一方的な強硬意見で天皇制存続を拒否するものであったなら、果たしてその後の歴史はどう展開したであろうか? 日本は消滅していたのではなかったか。
 終戦交渉は、まさに綱渡りの交渉であった。それが何とかアメリカをして、思い止まらせたものは、硫黄島の、あるいは沖縄戦における日本軍の、最後の奮戦が敵の心胆を寒からしめ、それがアメリカ側から譲歩を引き寄せたからである。
戦争とは、愚かさと賢さ、誠・・などが相交錯するなかで戦われる戦闘である。その勇気や美談には称えられるものも多々あるが、だからといって、戦争は厖大な悲惨、犠牲を考えたとき、決して手放しで称えるものでもない。しかし、防衛戦争は在るか、問えば、確かに在るということは言える。

グルーは戦後、連日の過労がたたり、端正なマスクの面影も消え、外交からも身を引いて読書三昧の日々を送った。愛した日本の土を二度と踏むことはなかった。彼はベストセラーとなった自著『滞日十年』の印税をすべて国際基督教大学の設立資金として寄付している。
1959年、妻アリスが亡くなった。心やさしき彼女は、広島原爆投下の報を聞くや、シックで失神し、数日間 寝込んだという。
N この二人が、最後の最後、日本の消滅を救ったともいえる。彼等の共通項は冒頭にも触れたが、人間としての謙虚さであり、誠の精神であった。これを小さなことと言うなかれ。天職の意識をもって生きる人間の行動は、大事な局面で、生きるということである。政治の舞台ともなれば、悪魔のささやきでさえも覆すこともできる。それが100%といわないまでも、大きな影響を与えることができるのである。
O 20世紀という時代は、戦争の常態化という修羅場であり、白人至上主義や人種差別が横行する百鬼夜行の時代でもあった。その時代にあって、まさに粉骨砕身働き、努力する愚直な人間が居て、究極の破壊から免れるということが現実に在った。それは利害得失を超えた行為であった。アメリカには、ルーズベルトという恐ろしい悪玉も居たが、グルーのように高潔な人物、あるいは東京軍事裁判で見事な日本擁護の弁論をしたローガン弁護人、ファーネス弁護人のように、敵国日本を裁く軍事法廷においても、法の公正を堂々と訴えることのできる第一級の人物が居たのもアメリカという国家であった。
アメリカという国は、昔も今も一色で見ることは危険であるが、日本人は、そう見る人が今でもけっこう多い。
P もちろん偉い人物は日本にも多々居るが、こういう偉大な人物をどうやって世に輩出させるかが、今この日本で、まさに問われているのではないだろうか。
仄聞する教科書の著作権侵害問題で、不正行為に対して無視を決め込むような、あるいはその事実を知りながら支援の姿勢を崩さない関係者には、こういう高潔な人物を育成できる資格も能力もないものと考える次第です。
Q これほど戦争は悲惨であったが、それでも、今日の価値観で過去の歴史を裁いてはならない。あくまでも過去に生きた人々の視点に立ち、その状況にわが身をおいてその時代を洞察しなければならない。我が国の、日米戦争をきちんと総括をしてこなかったツケが、いまいろいろなかたちで現れて、オタオタしている。・・・これが福井氏の訴えたいポイントでもある。

<最後に>
  過般の戦争は、愚かではあったが、敵味方とも、ここから大きな教訓を学び取らねばならない。世の中には因果応報というものもある。如何に真因を誤魔化したとしても、いつしか、何らかのかたちで清算や、歴史の復讐が行われる。それが世の中というものだ。考えてみれば、歴史を学ぶということは、人間の愚かな行動を客観的に分析、吟味し、右に左にと揺れるなか(闘争、戦争の繰り返し)で、とつおいつ、本来のすがたに向かう人類の足跡を明確にしようとする営みではないだろうか。

また繰り返すが、皇室関連の発言は、こういう歴史の綱渡り的背景とその重みを十分踏まえて行うべきものと思う。自信がないときは、それこそ“いい意味での沈黙”を保つべきと考える。

福井雄三氏の本著はこの意味で、日米戦争におけるひとつの総括版(のひとつ)である。皆様にも御一読をお勧めします。皆さまなりに総括してください。

橋本徹馬氏の日米交渉秘話も、シリーズで発信します。いまその本が神隠しにあっています。
以上
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2012年04月25日

第三回西尾幹二先生刊行記念講演会



  
     第三回西尾幹二先生刊行記念講演会

「真贋ということ―小林秀雄・福田恆存・三島由紀夫をめぐって―」


          開催のお知らせ

〈西尾幹二全集〉

 第2巻 『悲劇人の姿勢』刊行を記念して、講演会を下記の通り開催致します。

ぜひお誘いあわせの上、ご参加ください。

   ★西尾幹二先生講演会★

【演題】「真贋ということ
 ―小林秀雄・福田恆存・三島由紀夫をめぐって―」

【日時】  2012年5月26日(土曜日)

  開場: 18:00 開演 18:30
    
【場所】 星陵会館ホール

【入場料】 1,000円

※予約なしでもご入場頂けます。


★講演会終演後、名刺交換会がございます。

【場所】 一階 会議室

※ お問い合わせは下記までお願いします。

・国書刊行会 営業部 

   TEL:03-5970-7421 FAX:03-5970-7427
   
   E-mail: sales@kokusho.co.jp

・坦々塾事務局   

   FAX:03−3684−7243

   tanntannjyuku@mail.goo.ne.jp


星陵会館へのアクセス
〒100-0014 東京都千代田区永田町2-16-2
TEL 03(3581)5650 FAX 03(3581)1960

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2012年04月13日

『政治とはなにか』吉田圭介


   新刊のご紹介   

 坦々塾会員 吉田圭介

坦々塾会員、岩田温氏の新刊を紹介させて頂きます。

『政治とはなにか』(株式会社総和社刊)です。

政治とはなにか.bmp

  
 西尾先生の言論を追い、坦々塾に足を運ばれる皆様ならば、「一体、保守とは何を守るのか」「保守主義とは如何なる政治思想なのか」という、根源的疑問を感じたことの無い方はいらっしゃらないでしょう。

 殊に、保守政権の大本命と言われた安倍政権がいとも簡単に瓦解し、世界的にはとうに敗者となったはずの左派勢力が政権の座に着き、米国との付き合い方、中国との付き合い方、皇室の在り方、さらには原発から韓流に至るまで、論壇も世論も政界も百家争鳴・四分五裂といった観のある現在、その懐疑の心は益々深まるのではないでしょうか。

 我々は何故、祖国や歴史について憂い、悩むのか。
 何のために保守・保守主義について思い、考えるのか。
 筆者である岩田氏はその懐疑心に対し、古今のあらゆる言説を引用しつつ、しかも学者の文章にありがちな冗長さや晦渋さを排して、丁寧かつ明快に、真正面から解答を提示します。

 また、その解答を導き出すにあたっては、安倍晋三と野中広務を比較検証し、市場原理主義への抵抗例として昭和維新運動を考察し、日本国憲法の異質性をレーニンの論理を用いて分析する...といった、従来の発想に捕らわれない、大胆かつ自由な、それでいて完璧な説得力を持った論考を展開します。

 さらに、橋下大阪知事やホリエモン、あるいは丸山真男や宮澤俊義、司馬遼太郎や浅田彰といった現代日本の”権威”に対しても一切怯むことなく、その弱点や背信性を明確な論拠をもって指摘し、保守主義の正当性を戦闘的に論証していきます。

 その筆致の明朗さは、彼のキャラクター(御存知の方も多いと思います(笑))に因るところも大きいとは思いますが、何と言っても広汎な読書量、膨大な学習量に裏打ちされた確信に由来するものでしょう。
彼はまだ若いのですが、それは思考の厚みには関係なく、むしろ若い力強さが彼の思索を一層深遠かつ緻密なものにしていると言えるかも知れません。

 保守が何を守るのかさえ見出し難い今、弱冠二十代の気鋭の青年政治学者が、渾身の思索と研究の末に導き出した答えがここに在ります。
 是非、御一読ください。




posted by 坦々塾事務局大石朋子 at 06:07| Comment(5) | 新刊のご紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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